ライブハウスには昔、テーブルとイスが当たり前にあったーー兵庫慎司が振り返るバンドと客の30年

 僕も高校の時、2回経験している。広島の見真講堂という500人とか600人くらいのホールで、1回はARB、1回はエコーズで、どっちも後半みんな席を離れて前に詰めかけ、無法地帯になった。ライブはそのまま続いたが。

 席があっても前に詰めかけるんだから、席をなくすと大変なことになる、だからなるべくイスは置かないといけない、入りきらなくなったらイスのあるホールに移ればいい、という考え方だったのだと思う。

 それが90年代に入ったあたりから「オールスタンディング、実は危なくない」「なら、そのほうがいっぱい入れられるし本格的だからいい」ということに、徐々になっていったのではないか。リキッドルームができた時(1994年)もびっくりしたし、赤坂BLITZができた時は(1996年)、「TBSが1,500人キャパのスタンディングのライブハウスを作った!」と、業界で話題になったものです。

 同時に、それまでハードコア系のライブでしか起きないものだったモッシュやダイヴやクラウドサーフがだんだん一般化していく。言うまでもなく、これにはAIR JAM系のブレイクが大きく寄与している(それまではメジャーなバンドでモッシュが起きるの、THE MAD CAPSULE MARKET’Sくらいだった)。フロアめちゃくちゃ大暴れ、でもわかってる客がやっていれば危なくない、ということが浸透していくわけだ。

 そうだ、書いていて思い出したが、バンドブーム以前のライブハウスって、実際に怖い場所でもあったのだ。客同士がケンカしたり、バンドと客がケンカになったり、スターリンみたいに豚の頭や臓物がとびかったり(観てはいません。雑誌で得た知識です)、ハナタラシみたいに「いかなる危機に瀕しても責任を問いません」という誓約書を書かないとライブを観れなかったり(同じく雑誌からの知識)、「小僧が行くとシメられる」という噂なのでTHE MODS観たいけど怖くて行けなかったり(だから行ってないので、実際はどうだったのかわかりません)。ライブハウスが、そういうおっかない場所ではなくなったというのも大きい。

 かくして日本各地にZeppが作られ(1998年~)、日本で本格的に始まったロックフェスが、最初は会場をブロック制に区切っていたのがだんだんそうではなくなり(1998年に東京・豊洲で行われた第2回目のフジロックのグリーン・ステージの客席はまだブロック制だった)……と、時代は進化していき、現在に至るわけです。

 5月27日新木場スタジオコースト、マキシマム ザ ホルモン、ナヲちゃん妊活のためライブ活動休止前最後のツアーのファイナル。どのバンドよりも大暴れで、サークルモッシュしまくり、体当りしまくり、クラウドサーフしまくりなのに誰もケガしない超満員のフロアで、汗をだーだーかきながら、いろんなことを思い出した。

 そして5月30日、長野の山中で毎年行われているフェス、TAICO CLUBのBOREDOMSのライブ。ドラム&パーカッション数十人の中央で、目を閉じながら両手を上げ下げして指揮をとるEYEを観ながら、「この人が昔、誓約書マストのライブを……」と、しみじみした。

 というわけで、以上、思い出しつつ書いてみました。「だからなんなんだ」と言われると困るが。

■兵庫慎司
1968年生まれ。1991年株式会社ロッキング・オンに入社、音楽雑誌の編集やライティング、書籍の編集などに関わる。2015年4月にロッキング・オンを退社、フリーライターになる。
ブログ https://shinjihyogo.hateblo.jp/
Twitter https://twitter.com/shinjihyogo

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