嵐はいかにしてバラエティ番組で活躍の場を拡げたか 萌芽期からサブカル期の足跡を辿る

<嵐バラエティの萌芽期>

 99年のデビュー後、嵐の単独初レギュラー番組スタートとなったのは、『真夜中の嵐』(01年)。最終電車と自転車を乗り継いで真夜中の日本列島を縦断するという企画で、嵐のメンバーが一人で真夜中のロケを行い、そのVTRを嵐のメンバーたちと羽鳥慎一アナがスタジオで観るというスタイルだった。

 特筆すべきは、初レギュラーから既に生まれていた「のんびり」「おっとり」「ほのぼの」感! ロケ地の人たちと交流しながら冒険をしていくのだが、サラリーマンに絡まれたり、酔っ払いに雑居ビルに連れて行かれてステージで歌いまくったり、ヤンキーと一緒に写真を撮ったりと、嵐たち、一般人に溶け込む溶け込む。このあたりは昔から変わらないが、最も違うのは、当時、ウケない「お笑い担当」としてメンバーたちにイジられつつも、「反抗期」真っ只中でトンがっていたときの松本潤だ。

 話題になったのは、青森県八戸市に長老のウミネコを探しに行く回。120歳くらいのウミネコの長老を見つけ、「松本さん」という名前を付けると、どういうわけか一人二役になり、「ウミネコの松本さん」と会話し始める。一生懸命面白くしようとして、おかしな感じに壊れていった部分もあるのだろうが、スタジオはみんな失笑モードで、相葉が「これ、終わり? いつもの流れだとまだあるじゃん、その後、みたいなさ」とツッコむと、それに対する松本の反応は「そうだねぇ、ないねぇ」。

 静かな表情と口調で、有無を言わさぬ迫力があり、一気に緊張感が漂う。そして、気遣うメンバーたちに、松潤はさらに言う。「こういうロケもありかなって思ったよね」羽鳥慎一がただならぬ空気を気遣い、他の鳥や動物の寿命について聞いても、「なんで? そんなの俺が知るわけないじゃん」。

 今ではすっかり「しっかり者」「男前」担当の松本潤だが、当時は「末っ子」「お笑い」キャラでイジられていたし、リーダー・大野智はユルくイジられつつも、今よりもっとちゃんと年長者としての立ち回りをしていた。二宮和也のツッコミ・ガヤもそれほど鋭くなく、櫻井翔も相葉雅紀も松本の反応を伺い、うろたえていた。それぞれの持ち前のキャラと与えられた役割、関係性とがまだうまく噛み合っていない頃の嵐。それが噛み合い始めるのが、日テレ深夜番組『Cの嵐!』『Dの嵐!』『Gの嵐!』シリーズである。(後編に続く)

(文=田幸和歌子)

■書籍情報
『嵐はなぜ史上最強のエンタメ集団になったか』
リアルサウンド編集部・篇
価格:¥ 1,500(+税)
予約はこちらから

内容紹介:ごく普通の青年たちがエンタメ界のトップに君臨したのはなぜか? 音楽性、演技・バラエティ、キャラクター、パフォーマンス…… 時代が嵐を求めた理由を、4つの視点から読み解いた最強の嵐本! 嵐の音楽はポップ・ミュージックとしてどんな可能性を持っている? 現代思想で読み解く各メンバーのキャラクターとは? 嵐ドラマは00年代の情景をどう描いてきた? 青井サンマ、柴那典、関修、田幸和歌子、成馬零一、矢野利裕など、気鋭の評論家・ライターが“エンターテイナーとしての嵐”を語り尽くす。総合音楽情報サイト『リアルサウンド』から生まれた、まったく新しい嵐エンタメ読本。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「リリース情報」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる