冬将軍緊急寄稿! “つんく♂イズム”を解説
つんく♂が音楽家として築いてきたものーーこれまでの功績と今後への期待
「一番大事にしてきた声を捨て、生きる道を選びました。」
プロデュースした母校の入学式に登場したひとりの歌手が、自分が一番大切にしてきた声を失ったことを告白し、身を挺した決断をもって生きることの意味を問うた。
音楽生命に関わる衝撃の告白を、マスコミに向けて会見を開くわけでもなく、ファンに向けてでもなく、母校の後輩に向けての祝辞の場で行ったことが、いかにもつんく♂らしい。
シャ乱Qのボーカリストとして、ハロー!プロジェクトのプロデューサーとして。どちらの顔でも汎用性よりも自我を色濃く打ち出す、異彩を放ったスタイルで一世風靡してきた。音符への歌詞の乗せ方と声の響かせ方が特徴的なボーカルスタイル、特に「泣き」を見せるような哀愁的な歌は圧倒的である。プロデューサーとしては、どこか歌謡曲の枠の中にあったアイドルポップスに、様々な音楽フレーバーを注入し、その可能性を拡げた功績は大きいだろう。
濃厚だが、ハマると抜け出せなくなる……そんな代替の効かない“つんく♂イズム”に我々は魅了されるのである。
ボーカリストとしてのつんく♂
ロックはどこか若者の音楽として見られる傾向があるが、シャ乱Qは幅広い世代に親しまれていた。たしかな演奏技術と王道になぞらえたきちんとした音楽性。その上でスキマを狙っていく遊び心に溢れた奇抜な発想力。見た目のインパクトから、イロモノとして見られることもあったが、こと音楽に関しては硬派な側面が強かった。しっかりとした歌モノ、歌謡ロックとして確立されている。90年代、同じ大阪出身で同じアニメ主題歌を担当した、L’Arc-en-Cielや、同年齢で誕生日が1日違いの清春(黒夢)などが活躍していたこともあり、時に当時ブームだった“ヴィジュアル系”枠に括られることもあったが、そうしたバンドに見られる、ロック特有の“斜に構えた”感は皆無だった。
つんく♂のボーカルスタイルは、歌詞は正直聴き取りにくいものの、異様なまでに耳に残るメロディーが特徴的だ。それは独自の歌唱法と作詞スタイルによるところが大きい。英語のほうがメロディーに乗せやすいため、サビに英詞を用いるのは邦楽においての常套手段である。だが、それはある種、苦肉の策ともいえるものだ。つんく♂の場合は、そのようにメロディーを重視して詞を犠牲にするのではなく、両方の良い部分を残してキャッチーさを生み出している。言葉のイントネーションやアクセント、詞を文章に表したときの句読点の位置をずらすといった、歌詞カードの文脈とは別のところでの、聴覚上の語感をうまく操ってメロディーに乗せているのだ。言葉が耳にスっと入る、唱歌やフォークソング的なものとは真逆な手法ではあるが、日本詞なのに英詞にも聴こえるといったインパクトは絶大であり、逆に何と歌っているのか気になってしまうのである。
また、つんく♂はリズムへのこだわりも人一倍強い。その特有のリズムが生み出されたきっかけは「上・京・物・語」(1994年)で、平坦な歌謡曲に聴こえないよう、16ビートを感じさせるといった、リズム論に行き着いたという。同曲のライブ映像などを見ると、なだらかなメロディーとは対照的に、アコースティックギターをひたすら刻みながら歌う姿が確認できる。バラードにおいても「シーンーグールーベッドで」と単に音を伸ばすのではなく、「シイイ/ンング/ウウル/ベエエ/エッドで」といった細かい譜割りで表現している。鼻にかけるような「んあ」「うぃ」……など、それは西城秀樹や桑田佳祐などにも見られるクセや味といった個性でもあるが、それを“つんく歌唱”とも呼ばれる独自の歌唱法、リズム論として昇華し、自らプロデュースするハロー!プロジェクトに継承しているという点も注目すべきところである。