ザ・なつやすみバンド、“生きるための逃避”を語る 「バンドをやること自体が永遠の夏休み」

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 なつやすみがまたやってくる。毎年恒例のこのヴァカンスは、日々の忙しさから遊離した夢の時間でありながら、昨年、やり残したことと、今年こそやりたいことに取り組む挑戦の場でもあるだろう。――〝ザ・なつやすみバンド〟。そんな、緩いのか勇ましいのか分からない不思議な名前を掲げたバンドの新作『パラード』は、前作に漂っていた、わくわくしたり、せつなくなったりする純粋な感覚はそのままに、少しだけ、ただし、確実に成長を感じられる、実にセカンド・アルバムらしいセカンド・アルバムとなった。まるで、前の夏以来に会った友人とすぐに意気投合するのだけど、何処か大人びても感じられるような。メンバー4人の内の2人――メイン・ソングライターでヴォーカルの中川理沙と、片想いのメンバー、ceroのサポーターも務め、いわゆる〝東京インディ〟における重要人物として知られるマルチプレイヤーのMC.sirafuに、2回目のなつやすみについて話を訊いた。(磯部涼)

「TNBを「面白い」と言われるところまで持っていけるヴィジョンというか、確信があった」(MC.sirafu)

――Real Sound初登場ということで、まずはバンドのバイオグラフィーについて聞かせて下さい。08年に結成されたザ・なつやすみバンド(以下、TNB)にとっての重要な転機が、11年、MC.sirafu(以下、sirafu)さんが加入したことだと思うのですが、当時、TNBはまだ正式なリリースをしていないですよね?

中川:そうですね。『なつやすみの誘惑』(10年7月)というCD-Rを1枚、出しただけでした。私は、その前は大学のサークルのカヴァー・バンドで歌っていて、「オリジナルをやりたいな」って軽い気持ちで始めたのがTNBだったんで、アルバムをつくるとか将来の見通しみたいなものはまったくなかったんです。

――では、sirafuさんはそんなTNBをどのようにして〝発見〟したのでしょうか?

sirafu:TNBのことは結構前から名前を知っていたんです。というのも、片想いやceroで一緒にやっているあだち(麗三郎)君が「なつやすみバンド、良いよ」とよく言っていて。だから、気になっていたものの、なかなかライヴを観る機会がなかったんですね。そうしたら、あだち君が四谷区民センターで主催したイベント(09年10月28日、「風のうたが聴こえるかい??vol.10+」)で、彼のライヴのサポート・メンバーとして中川と一緒になって。ただ、その後、またしばらく空いてしまって、ようやくライヴを観ることが出来たのが、新宿LOFTでやまのいゆずるが主催したオールナイト・イベント(「ホホエミロックフェスティバル5」、10年5月21日)。僕はVIDEOTAPEMUSICのサポートだったんですけど、神さまとかディスパニ(THIS IS PANIC)とか変なバンドばかりが出ていた面白いイベントで、TNBのライヴも凄く良くて。それで、酔っぱらっていたのもあって、思わず「僕がサポートやるよ」って言ったんです。

――いきなり、固有名詞がたくさん出てきて戸惑うひともいるかもしれませんけど、その頃、sirafuさんはたくさんのインディ・アーティストのサポートをやっていましたよね。

sirafu:何と言うか、当時は輪が広がっていく感じが面白かったんですよね。片想いを結成したのは03年ですけど、ひたすら孤立している時代が長くて(笑)。それが、ceroのサポートをやり出した09年頃から、一気に色んな人と繋がり出した。あの頃はそれがその時代の新しいシーンの在り方だって意識がありましたし、とにかく、良いバンドだと思ったら加わって、そこからまた広げていくということを繰り返していましたね。あと、まだ普通に昼間の仕事をしていたので、それとバランスを取ろうとしていたようなところもあったのかもしれない。

――普通、仕事と音楽活動とのバランスを取るというと、音楽活動は程々になってしまうものですが……。

sirafu:バランスというのは、意識のバランスのことですね。昼間の仕事も好きだったからこそ、音楽にも同じくらいの熱量で打ち込んで、どれだけ続けられるかっていう気持ちだけでもってがむしゃらにやっていました。あの頃は年間180本くらいライブを入れていたんじゃないかな。

中川:180本?!

sirafu:ただ、限界までやったせいで、結局、仕事を辞めざるを得なくなっちゃったんですけど(笑)。だから、最初、サポートでTNBに参加したことに関しても、そこまで何か意図があったというよりも、当時の、人と繋がっていく、輪を広げていく過程のひとつっていう感じですね。

――一方、中川さんはsirafuさんにサポートを申し出られた時、どんな風に思われたんでしょうか?

中川:シラちゃん(sirafu)のことを最初に認識したのは、タワーレコード新宿店であだちさんがやったインストア(2009年7月5日)で、サポートをやっているのを観て、「凄いひとがいる」って思ったんです。その後、ceroのライヴも観たけど、やっぱり、凄いなと。というのも、入れてくるフレーズが絶妙で素晴らしいんですよ。だから、TNBもいつか一緒にやってもらえたら良いなって思ってましたし、「やるよ」って言われた時は嬉しかったですね。

――そして、5回ほどサポートを務めた後、sirafuさんはTNBに正式に加入することになるわけですが、たくさんのサポートをしていた一方で、加入にまで至ったバンドは他にないですよね。

sirafu:確かに、加入した時、周りは「え、なんで?」みたいなリアクションでしたね。でも、僕にはTNBを「面白い」と言われるところまで持っていけるヴィジョンというか、確信があったので。実際、その後、ファースト・アルバム(『TNB!』、12年6月)を出して評価が変わりましたし。簡単に経緯を説明すると、僕がサポートに入り始めたタイミングで、オリジナル・メンバーだったギターの子が抜けることになってしまったんですね。結果、TNBの中で「バンド、どうしよう」っていう雰囲気になり、そのままだと解散しちゃいそうで、それはもったいないなと。ただ、脱退を肯定的に捉えると、ギターレスになったことによって音楽的に隙間が出来るわけで、そこで、後ろに引っ込んでいた歌の部分を全面に出せば、このバンドはもっと良くなると考えたんです。その点、僕のスティールパンだったら歌を引き立てられるし、それまでのいわゆるギター・ロックと違うストレンジな感じも出せると思って、「入るよ」って自分から言いました。

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