映画『恋は雨上がりのように』はなぜ説得力がある? 小松菜奈や大泉洋による再現度を考察

『恋は雨上がりのように』なぜ説得力がある?

 17歳の女子高生が、冴えない45歳のおじさんに恋をする。その設定に、多少なりともマイナスなイメージを抱く人がいるかもしれない。だが、映画『恋は雨上がりのように』は、そのイメージからは大きく乖離した物語。鑑賞中に感じるのは軽やかな疾走感、そして鑑賞後に残るのは、未来への明るい希望である。

 原作は、“恋雨”として親しまれる眉月じゅんの同名マンガ。2014年から2016年に『月刊!スピリッツ』(小学館)、その後は2018年3月まで『週刊ビッグコミックスピリッツ』に隔週連載。さらに今年1月からは深夜アニメ枠「ノイタミナ」(フジテレビ系)でテレビアニメも放送された人気作だ。

 高校2年生の橘あきら(小松菜奈)は短距離走のエースであったが、アキレス腱断裂によって陸上の夢を諦めてしまう。そんな時、偶然入ったファミレス「ガーデン」で、店長・近藤正己(大泉洋)に優しく声をかけられる。この出会いをキッカケに「ガーデン」でアルバイトを始めたあきらは、バツイチ子持ちの冴えない45歳の近藤に恋心を抱いていくーー。

 なんといっても驚くのは、原作からの再現度の高さ。小松菜奈のクールで魅惑的な雰囲気がぴったりと合致する主人公を筆頭に、登場人物たちはコミックをそのままスクリーンに転写したかのよう。それもそのはず、永井聡監督は「漫画の映画化をやる時は、リメイクと思っているんです。ひとつの言葉をなくしただけでその漫画ではなくなってしまう危険性があるので、そこはシビアに演出させてもらいました」(『恋は雨上がりのように』プレスより)と実写化への信念を語っている。

 それに対して大泉も「ここまで原作通り、一言一句セリフをかえないで下さいと言われたのは初めて」(『恋は雨上がりのように』プレスより)というが、それらをまるでアドリブかのごとく繰り出す力量には感嘆するばかり。とりわけ大泉の学生時代からの役者仲間である戸次重幸(TEAM NACS)が演じる同級生・九条ちひろとの会話は、芝居であることを忘れさせるほどリアリティに溢れていた。

 当然ながら、“漫画”は自分のペースで読み進めるものであり、会話のやりとりのスピード感もひとそれぞれが自由に思い描くもの。それを実写化することは、ある種、ひとつの正解を示すことになる。ゆえに賛否が分かれるものだが、映画『恋は雨上がりのように』はキャラクターたちが持つ“勢い”や“間”、“空気感”が絶妙で、「なるほど、これが正解だったのだ」と、ストンと腑に落ちる説得力があった。

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