シドの楽曲がV系の枠を超えて愛される理由 バンドの持つ魅力を改めて考える

シドがV系を超えて愛される理由

 シドが2017年に入り、その活動を昨年以上に活発化させつつある。彼らは1月18日に1年2カ月ぶりのシングル『硝子の瞳』を、5月10日には今年2枚目のシングル『バタフライエフェクト』をリリース。その直後の5月12、13日にはそれぞれ『夜更けと雨と』『夜明けと君と』と題した日本武道館公演を開催する。そもそもシドが1年に2作もシングルを発表することは2014年以来だし、ワンマンライブの開催も約1年7カ月ぶり。昨年2016年は1月にシングルコレクションアルバム『SID ALL SINGLES BEST』をリリースして以降、シドとしてのライブ活動は2016年後半にいくつかのイベントに出演したのみだった。だからこそ、新曲『硝子の瞳』を聴いて喜んだ人は多いだろうし、その後の展開に喜びを隠しきれない人も少なくなかったはずだ。

 筆者も『硝子の瞳』で久しぶりにシドの楽曲と接したのだが、“痒いところに手が届く”と表現したくなるメロディの流れやバンドのアンサンブルに「そうそう、これこれ」と感じたものだ。実はこの感覚、初めての経験ではなくて、10数年前に初めて彼らの楽曲を聴いたときからすでに味わっていたものだ。初めて聴くはずなのにどこか既視感のような懐かしさが漂う、シドが最初から持ち合わせているこの感性。その「そうそう、これこれ」こそがシドの魅力であり、彼らにとっての最大の武器なのではないかと、続く最新シングル『バタフライエフェクト』を聴いてより実感したのだった。

 そこで今回は、このニューシングル『バタフライエフェクト』発売ときたる日本武道館2DAYS公演を前に、改めてシドの魅力である「そうそう、これこれ」を紐解いてみたい。

 まず、シドの楽曲面について。バンド内で作曲を担当するのは明希、Shinji(G)、ゆうや(Dr)の楽器隊3人。シングルの表題曲(インディーズ時代含む)に関して言えば、これまでに明希が15曲、Shinjiが9曲、ゆうやが7曲(特にゆうやは直近の「硝子の瞳」「バタフライエフェクト」を作曲)というバランスで作曲を手がけている。もちろん3人それぞれのカラーが確立されており、曲によってはそれが色濃く表れるタイミングもあるが、基本的には「ロックバンド然としながらも、フックを効かせたアレンジを施したサウンドを軸に、一度聴いたら耳から離れない良質なメロディを持つ楽曲」が共通項としてあるように思う。実はこの基本事項が、彼らを一介の「V系バンド」とは一線を画する存在へと押し上げる要因となったのは間違いない。

 改めてシドの楽曲を聴き返してみると、すでに初期の段階で“普遍的なメロディ”と“ロック(あるいはV系)バンドの枠を逸脱した、非常に考えられたアレンジ”がベースにあることに気づかされる。それは時に、当時のチャートや着うたヒットの中に入っても違和感を感じさせない楽曲となり、シドがどこから登場したバンドであるかを忘れさせるほどのものだった。さらに、時代を感じさせない……同時代性という枠をもはみ出し、70~80年代の歌謡曲やニューミュージックと同列で語れそうな作品すら存在し、シドというバンドの懐の深さを示す結果に。筆者はシドがメジャー2ndアルバム『dead stock』リリース時(2011年2月)にインタビューしたことがあるが、その際に明希は「特に何かに縛られず、自由にやりたいというのはありました。常に良いメロディがあって、そこに遊び心のあるアレンジを取り入れるというのは、結成当時から今に至るまでずっと続いています」と結成時からのこだわりを語っている。自分たちが属しているジャンルの決め事に固執せずに、ひたすら良いメロディ、良い楽曲作りにこだわった結果が、シドをオリジナルな存在へと昇華させたのは間違いない。

 もうひとつ音楽面に関して思うことがある。先に書いた「当時のチャートや着うたヒットの中に入っても違和感を感じさせない楽曲」という点において、例えばシドが影響を受けたであろう上の世代のバンドたち……特にシドがトリビュートアルバムに参加したL'Arc-en-Cielや黒夢、LUNA SEAなどは洋楽アーティストからの影響を自身のサウンドに反映させながらオリジナリティを確立させていったが、シドの場合はもっとドメスティックな音楽からの影響を強く感じる。上記の3バンドからの影響はもちろんのこと、90年代のJ-POP、さらには前の項目で書いた70~80年代の歌謡曲やニューミュージックまで。こういった「J-POP、J-ROCKの先駆者」たちからバトンを受け継ぎ、次世代の“純国産”ロックを確立させた。そう考えることはできないだろうか。2000年代後半、シドの楽曲がいきものがかりのような“純国産”ポップミュージックと並んでも何ら違和感がないのは、そういった影響も大いに関係しているのではと推察する。

 続いて歌詞について。シドですべての作詞を手がけるマオの歌詞は、シド以前のV系バンドと比較すると耽美さがほとんど感じられない。ロックバンド特有の「体制に対する反抗」をテーマにした楽曲も存在するが、多くの歌詞は比喩を多用した私小説的なものだ。このへんにロックリスナーのみならず、J-POPを愛聴する層にもアピールする秘密が隠されているように思う。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「アーティスト分析」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる