地下アイドルは「就活」とどう向き合った? 姫乃たまが振り返る「学業」と「活動」の両立

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地下アイドルでありながらライターとしても活躍する姫乃たま

 習字の授業が苦手でした。

 ずぼらなので道具の手入れを満足にできたためしがなく、ほつれた筆先を見るたびに憂鬱でしたし、半紙に現れた頼りない字は、明らかに筆のせいではないのでした。

 特に書き初めの授業には、心底困りました。人様に発表するような目標もないのに、1か月ほど廊下に貼り出されてしまうのです。

 何を書こうか悩んで周りを見渡すと、運動部の子が「文武両道」と書いていたりして、士気の高さに圧倒されました。しかも部活で優秀な子は、習字も上手かったりするのです。運動もできない帰宅部で、国語だけが取り柄なのに、習字がまったくできない私は、ただただ打ちひしがれたものです。

 自分が何を書いたのか思い出そうとしたのですが、記憶に残っているのは、立派な「文武両道」ばかりで、廊下に貼りだされた私の半紙には靄がかかっているのでした。

 高校に進学して、すぐ部活動に入部しましたが、夏が始まる前に退部しました。なぜ退部したのかさっぱり思い出せないのですが、それすら思い出せないのですから、よっぽど熱中できなかったのだと思います。私が部活動をしていたのは、人生の中でこの数か月のみです。

 熱中しにくいうえに飽きっぽい私にとって、文武両道は無縁の世界でした。そのため、高校2年生になってすぐ始めた地下アイドルを、大学を卒業するまで続けているのなんて、人生の中でも類を見ない出来事なのです。

 来月から新社会人になるいま、私の習字のように歪で頼りなかった文武(?)両道生活を思い返してみました。

 高校は8:30に始業します。もうあまり正確に思い出せないのですが、多分終わりが15時過ぎくらいで、ライブのリハーサルがだいたい16時頃なので、放課後は物販と衣装が入ったキャリーバッグを転がして、すぐにライブハウスへ向かっていました。

 ライブが終わって帰宅すると日付が変わりそうになっていて、それから翌日の課題をこなしたり、お弁当箱を洗ったりしていると、眠るときにはすっかり深夜になっていました。当時は月に15本前後のライブに出演していたので、日々の睡眠時間は4、5時間ほどだったと思います。

 どちらかと言うと楽な生活ではなかったのですが、それでも活動を辞めなかったのはゴールを決めていたからかもしれません。高校卒業とともに活動は辞めようと、はなから決めていました。地下アイドルの魅力は年齢に関係なく人間性で勝負できるところだと思いますが、自分の人間性に魅力を見いだせなかったので、若いうちに辞めておくべきだろうと考えていたのです。

 しかし、いま思えば卒業とともに引退するのでは遅く、卒業する前に余裕を持って辞めて、進路を考えるべきだったのです。

 3年生に進級してずいぶん経っても、センター試験の受け方すら知らなかった私は、当然、受験勉強の波に乗り遅れていました。いまにも進学を諦めてしまいそうな私を立て直したのが恩師でした。出席率だけは異様に高く、成績も(数学と体育以外は)そこまで悪くなかったため、指定校推薦の枠を取ってくれたのです。特に志望校もなかったので、仕事の合間に1日だけ面接と小論文という得意分野のみをこなし、一般受験の子よりも先に大学進学を決めました。

 残りの高校生活は、友人の受験勉強の邪魔にならないよう、ますます地下アイドル活動に打ち込みました。卒業式の前後もびっしりライブ予定が詰まっているというメリハリのなさで、すっかり辞め時を逃していたところ、あの大震災が日本を襲いました。

 世間は就職どころではなくなり、大学に入学した当初は、就職難に直面する4年生を目の当たりにしました。はやくも就職難の恐怖を感じずにいられなかった私は、目の前にある仕事をありがたくこなすことに決め、活動に拍車をかけました。

 そうして、大学の4年間は腰を据えて地下アイドルとして活動しようと覚悟したのです。

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