石田ショーキチが語る「激動のシーン20年」(第3回)
「20代のバンドはどう食べていくか?」石田ショーキチが示す、これからの音楽家サバイバル術
――一方で、レコーディング芸術としての音楽がこのまま廃れていってしまうのではないか、という懸念もあります。
石田:そこには、先程も挙げた教育の不足という大きな問題があります。教育はどうしてもコストをかけなければできないところがある。僕らのようないい年のおっさんは自分のやり方次第でどうにでもなりますが、これから若者が新しいものを作っていく上で、かつてはメーカーが投入する資金で行われていた教育が欠落していることの影響は、これからさらに大きく出てくるでしょう。その反面、教育とは無関係な自由な表現、ベッドサイドミュージックは現に大きな広がりを見せているし、これからもっと広がっていくと思う。この二極化は、大きくなる一方です。
――可能性があるのはベッドサイドミュージック、ということでしょうか。
石田:ベッドサイドミュージックの中に、必ずしも音楽理論的に正しくなくても、内容的に音楽性が高いものがあれば一番だと思いますが、そこには残念ながら過度には期待できない。そういう意味では、これからの若者はちょっとかわいそうですね。
――レコードメーカーに守られながら技術を磨き、食べられるようになる……という道筋がなくなってきている中で、「20代のバンドがどうやって食べていくか」というのも今後の音楽シーンの大きなテーマになると思います。
石田:こういう状況になることはいわば時代の宿命。1982年にコンパクトディスクができた時点で運命づけられていたことで、僕もいずれはこうなると覚悟していました。ここで「CDが売れない」と嘆いていても仕方がない。レコード会社を頂点とした“音楽経済ヒエラルキー”のピラミッドがあり、その外にテレビを中心とした大きなメディアがあって……という構造が崩れた以上、今までのやり方で音楽で飯を食っていくことなんかできるわけがありません。
けれど、音楽の需要自体がなくなったわけではなく、経済的な方法論が通用しなくなったということなので、新しいやり方を考えればいいだけです。僕もギター1本を持って全国飛び回り、年間50本くらいアコースティックライブをやりますが、行けば必ず喜んでくれるお客さんがいて、自分にとっても収入になります。今まではコンサートというものもレコードを売るためにレコードメーカーがお金を出して……ということで、結局はピラミッド構造の中で制作されていました。それが崩れた以上、後は自分個人が、いかにリスナーと真摯に対峙するか、ということでしかない。パイは細分化しましたが、その分、個人対個人の時代になりましたから、それを自覚して「経済を自分で作っていく」という覚悟があるかないか、というだけの問題だと思います。
――今の時代を正確に捉え、それぞれの新しい「音楽経済」を作るべきだと。
石田:そうです。ライブ活動には、アリーナのように大きなものから、ライブハウスの小さなものまでありますが、それぞれが大事で、それぞれに成り立つ方法論がある。お金の規模だけの話ではなく、どんな規模であれ成立させていくことが大事な時代だと思います。そういうものを丁寧につなげていくことで、新しい音楽経済ができあがるのではないでしょうか。例えば八百屋さんは、仕入れ値と売値と売り上げ個数を計算し、それを実現させないと生活できない。音楽で生活するにも、同じことをしなければならないんです。昔はそうしなくても、なんとなく漠然と大きなお金が流れていて、その中で漠然と飯が食えていましたが、ひとつひとつを事業として見た場合、それぞれがちゃんと黒字を出していたかというと、全然そんなことはなかった。つまり、売れているアーティストの利益を平べったく伸ばして、業界全体に再分配していただけです。それぞれのアーティストが個人レベルで利益を考えていくという状況は、八百屋の例を出すまでもなく、ごく自然なことだと思います。
――最後に、活動20周年ということで今後の活動についてはいかがでしょうか。2007年の『love your life』以来となるソロアルバムの完成も期待しています。
石田:よく言われます(笑)。ただ、自分の音楽ってあまりモチベーションが上がらないんですよね。その反面、演劇やテレビアニメの曲の依頼はちょこちょこ受けていて、物語に対して音を作る、というのはすごく燃えるんです。でも、そのストーリーの中心が自分になる、というのは気持ちが悪い。とりあえずSpiral Lifeのリミックスをやれただけで僕もう満足しちゃっているところがあるので、これから考えることにします。
(撮影=金子山 取材・文=神谷弘一)