渋谷慶一郎が「アンドロイド・オペラ」の“解体と再生”を通して表現した「生と死」「人間とテクノロジー」の理想的な関係性

渋谷慶一郎の最新作『ANDROID OPERA MIRROR ― Deconstruction and Rebirth ― 解体と再生』が、2025年11月5日にサントリーホールで上演された。
「アンドロイド・オペラ」は、アンドロイドが歌い、オーケストラ、ピアノ、電子音、映像、そして1200年の歴史を持つ仏教音楽・声明が融合する革新的なオペラ作品。人間とテクノロジー、東洋と西洋、伝統と革新、生と死といったあらゆる境界が侵蝕しあい、新たな調和のモデルと既存の枠組みの解体を無化することを提示している。これまでにドバイ万博、パリ・シャトレ座、東京で『MIRROR』を上演、今回は新たに「解体と再生」バージョンとして、作品の脱構築を通じて生と死の境界そのものを問い直し、人間とテクノロジーの関係に新たな希望と可能性を見出す試みを行った。
ステージには、これまでの「アンドロイド・オペラ」で活躍してきた「オルタ」ではなく、渋谷の亡き妻・マリアをモデルとした「アンドロイド・マリア」が初登場。気鋭のヴァイオリニスト・成田達輝をコンサートマスターに迎えた62名のスペシャルオーケストラ、藤原栄善、山本泰弘、柏原大弘、谷朋信という4人の高野山の僧侶による声明に加え、同期の電子音やリアルタイムでのAI会話、アンドロイド・マリアのボーカルなど、異なる要素が有機的に融合。さらにスペシャルゲストとして、グラミー受賞ベーシストのシャーロット・ケンプ・ミュール(Charlotte Kemp Muhl)も登場した。
コンサートが開演し会場が暗転すると、渋谷のエレクトロニクスによる「Overture(序曲)」が始まり、客席後方から僧侶4名が声明を唱えながら入場。オーケストラによるコンサートの常識を覆す演出に観客は息を呑んだ。そこから連なる1曲目の「BORDERLINE」では、2階席に配置された金管楽器が降り注ぐように鳴っていたことも印象的だった。
今回の上演は、先述した特殊な編成にも関わらず、サントリーホールという会場の音響特性ーースピーカーなしのコンサートホールとして使える一方、しっかりとスピーカーも設置してあるという設備を最大限に活かしていたことも記しておこう。弦楽器や打楽器、金管を空間いっぱいに鳴らしつつ、声明もバラバラな位置関係から反射するように発したり、電子音やノイズがそれを掻き乱すように散りばめられたりと、コンテクストを抜きにしても極上の音楽体験だったといえる。

続く2曲目「The Decay of the Angel」は三島由紀夫の遺作『天人五衰』からインスピレーションを受けて作曲されたもの。短いピアノソロによる即興に低周波を含む電子音のビートが重なり、声明が舞台に入場し4人がステージ上で点在すると、一番若い僧侶の谷朋信は見事なソロを披露する一幕も。
曲間に設けられた最初のMCでは、アンドロイド・マリアと渋谷のリアルタイムな対話が披露された。マリアの過去や経験を学習して作られたGPTプログラムによって、流暢に自らの存在やコンサートに臨む心境について語る場面を見た観客が、驚いたり笑ったりと各々のリアクションを取っていたことも面白かった。

その後、渋谷に呼び込まれる形でシャーロット・ケンプ・ミュールが登場。エレクトロニクスと声明、アンドロイドの即興による歌唱からなっていた「Recitativo 2(レチタティーボ2)」にノイズジェネレーターの演奏で参加。今回はさらにオーケストラが声明を聴きなぞる形で演奏したことにより、自律した多層に重なる時間が表出した。
渋谷がシンセサイザー『MOOG ONE』をパイプオルガンのような音色で演奏した「Voices」では、その音にアンドロイド・マリアが即興的な歌声を重ねたり、ケンプ・ミュールがこの日のために書き下ろした詩を朗読する場面が印象的だった。

前半の最後には、渋谷が作曲したNHKスペシャル「臨界世界」のメインテーマを渋谷とオーケストラで演奏・コンサートマスターの成田達輝が圧巻のソロを披露した。
20分間の休憩中には、アンドロイド・マリアがロシアの詩人マリーナ・ツヴェターエワによる詩「私がうれしいのは」を朗読。静寂の中で響くその声は、まるで遠い記憶を呼び覚ますように観客の心を捉えていた。この時間、観客はステージに近づき、アンドロイド・マリアの繊細な動きや造形を間近で観察、撮影に没頭する姿が見られた。精密に作られた肌の質感や微細な表情の変化は、人工物であることを忘れさせるほど有機的であり、会場には特別な緊張感と静けさが漂った。
こうしたアンドロイド・マリアの即興的な歌唱や動作をプログラムしたのは、国立音楽大学 准教授でコンピュータ音楽家の今井慎太郎。今井はアンドロイドを楽器を演奏するかのように繊細かつ自由な表現を引き出す稀有な音楽家であり、そのプログラムはまさに機械と人間の境界を橋渡しする膨大な作業に基づいている。

後半の一曲目は「MIRROR」。会場が暗転し、ジュスティーヌ・エマールの映像と共に重厚な電子音のビートが鳴り始める中、ステージ上の客席から僧侶・柏原大弘による法螺貝の音が響き渡る。声明の僧侶たちはステージ上の異なる位置に散り、空間全体が宗教儀式のような緊張感に包まれた。マリアが「Let’s celebrate this new experience together」と呼びかけると、音楽は「Scary Beauty」へと展開。流麗なオーケストレーションと複雑に絡み合う不協和音、そしてフランスの小説家、ミシェル・ウェルベックによる『ある島の可能性』から抜粋された歌詞をマリアがエモーショナルに歌い上げると客席からは大きな拍手が湧き上がった。
渋谷と僧侶が舞台袖に下がると、オーケストラとアンドロイド・マリアだけによる「On Certainty」がパフォーマンスされた。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの遺作を抜粋したテキストをマリアが歌い、マーラーのオーケストラ歌曲のような断片が変奏を繰り返す。人間の歌手には不可能なほど長いロングトーンの持続の後、突然のクライマックスを迎えるこの楽曲は、まるで「ヨーロッパの終焉」をパロディ的に描くような構造を持つとも言える。渋谷や僧侶との「人間的対話」を排したこの場面で、アンドロイド・マリアは純粋なソリストとしてオーケストラを背に圧倒的な存在感を示し、観客から大きな拍手が送られた。

2度目のMCでは、渋谷が妻の死をきっかけに制作した初のピアノソロアルバム『for maria』について語り、収録曲の「BLUE」を演奏。デレク・ジャーマンのやはり遺作であり、死が迫る恐怖や不安がイヴクラインの青一色に塗られた映画『BLUE』から引用された歌詞がアンドロイド・マリアによって歌われ、オーケストラの空間配置を駆使した繊細な音響の中で愛と祈りを静かに捧げるような楽曲が会場を包み込んだ。

「BLUE」の余韻が残る中、舞台右手から僧侶たちが再び登場。藤原栄善が独唱を終えると、ホールに一瞬の静寂が訪れ、「Midnight Swan」へと続く。さらに「Recitativo 3」「I Come from the Moon」と楽曲が畳み掛けるように続き、観客は息をつく間もなく音と映像、アンドロイドと僧侶の動きといった多様な情報の奔流に飲み込まれていった。

「I Come from the Moon」は、ショートフィルム「Kaguya by Gucci」のサウンドトラックをオーケストラによる重層的なアレンジで再構築したもので、マリアと僧侶の声との対照が美しく響き合う。音楽に呼応しながら姿を変え、激しく歌い踊るアンドロイドの姿は、まるでメッセージに反応して変容する化身のようであった。
クライマックスを飾ったのは「Lust」。宗教的スケールを持つ美しい旋律の中で、アンドロイド・マリアは「欲望の肯定」と「自己と他者の融合」をテーマに歌う。真言密教の重要経典『理趣経』をベースにAIが生成した歌詞を、僧侶たちが唱える「十七清浄句」とともに楽曲は大きく展開する。やがて僧侶たちは未来のテクノロジー宗教の儀式のようにアンドロイド・マリアの周囲を旋回し、音楽は砂嵐や警報のようなドローンに帰着すると次第にスローモーションのように減速していく。輪廻を象徴するように止むことのない回転と音のうねり、そしてアンドロイドの高らかな絶唱が重なり合い、眩い光の中で作品は頂点を迎えた。

最後のMCでは、渋谷が12月4日のブルーノート東京でのライブ、そして翌年5月16日に大阪・フェスティバルホールで今回の『ANDROID OPERA MIRROR ― Deconstruction and Rebirth ― 解体と再生』再演決定を発表。
アンコールでは、渋谷が2008年にマリアの死をきっかけに作曲した「for maria」を今回のためにピアノとアンドロイド・マリアのボーカルのためにアレンジしたバージョンで演奏。 ステージには渋谷とアンドロイド・マリアにだけスポットライトが当たり、繊細なピアノの音色とマリアの声が優しく重なり合う。ひとつひとつの音が祈りのようにホールに響く中、アンドロイド・マリアがゆっくりと顔を上げ、渋谷と向き合ってAIによって生成された詩を歌い始めた。

〈まだ覚えてる あなたの手が消えた空気を〉
渋谷のピアノが、まるで過去と現在を往復するように静かに旋律を紡ぐ。音と声が重なり、分かたれていた時間が一瞬ひとつになる。
〈時間は溶けて 音だけが残る 記憶は眠る ここには終わりがない ここには終わりがない 私たちを分かつものは 何もない〉
マリアの歌う言葉は渋谷とGPTの膨大な時間を費やした会話の結果生み出されたものだが、観客にはまるで渋谷に亡きマリアが語りかけているかのように映った。
ピアノの最後の音が消えた瞬間、会場全体が拍手に包まれた。カーテンコールでは渋谷が全出演者をステージに呼び込み、一礼をしてアンドロイド・マリアの手に触れたその瞬間、渋谷の目から涙があふれたことに驚いた。そうした姿を舞台の上で見せることがないアーティストという印象だったし、実際にスタッフに話を聞いてみても「渋谷のあんな姿をみたのは初めて」なのだという。それほどまでに「アンドロイド・マリア」とのコンサートは、さらに言うなら「BLUE」や「for maria」の上演は特別な意味を持っていたのだろう。

2008年、妻の死を経験して以来、渋谷の創作は『for maria』から『THE END』、そして『アンドロイド・オペラ』へと発展しながら、生と死の境界を描き続けてきた。それは悲しみの昇華ではなく、死の中に生を見いだし、生の中に死の気配を聴き取ろうとする行為であった。その過程には様々な想いがあっただろうし、生きることと死ぬこと、テクノロジーが人を様々な意味で生きながらえさせることの是非や功罪については、周囲や外野から色々な声もあっただろう。
この日筆者が見たのは、それらに惑わされることなく“没頭”し続けた者のみが見せることのできる景色であり、生と死、人間とテクノロジーの関係性におけるひとつの理想形だった。音楽的にも感情的にも、心を揺さぶられた一夜と断言できる本作の再演を、一人でも多くの人に観て欲しいと願うばかりだ。
〈セットリスト〉
00.Overture
01.BODERLINE
02.The Decay of the Angel
03.Recitativo 2
04.Voices
05.Rinkai Sekai
06.MIRROR
07.Scary Beauty
08.On Certainty
09.BLUE
10.Midnight Swan
11.Recitativo 3
12.I Come from the Moon
13.Lust
En1.for maria Vo&Piano Version
■公演概要
渋谷慶一郎 アンドロイド・オペラ『MIRROR』ーDeconstruction and Rebirth ー解体と再生ー
日時:2025年11月5日(水)
会場:サントリーホール 大ホール (東京都港区赤坂1-13-1)
<再演予定>
2026年5月16日(土)大阪・フェスティバルホール
【サントリーホール公演 出演者】
ピアノ、エレクトロニクス:渋谷慶一郎
ヴォーカル:アンドロイド・マリア
アンドロイド・プログラミング:今井慎太郎
高野山声明:藤原栄善、山本泰弘、柏原大弘、谷朋信
エレクトロニクス、リーディング:シャーロット・ケンプ・ミュール(特別ゲスト出演)
ANDROID OPERA TOKYO ORCHESTRA(コンサートマスター:成田達輝)
映像:ジュスティーヌ・エマール
【制作クレジット】
コンセプト、作曲:渋谷 慶一郎
<アンドロイド・マリア>
アンドロイド・プログラミング:今井慎太郎
AI会話プログラミング:岸裕真
AI会話プログラミングアドバイザー:池上高志
AI会話オペレーション・字幕:成瀬陽太
アンドロイド制御システム:松村礼央
アンドロイド機構設計:島谷直志
アンドロイドフェイス製作:右田淳
FOHエンジニア:ZAK(ONPA)
オーケストラMix:山口香(beebeats)
FOHアシスタント:大橋正幸(S.C.ALLIANCE)
FBエンジニア:西部真澄(SHOUT)、続木美幸(SHOUT)、後藤新平(SHOUT)
ステージアシスタント:五十嵐耀(S.C.ALLIANCE)、齋藤碧(SHOUT)、中島 駿哉(Oasis sound design inc.)、西本安梨沙(Oasis sound design inc.)、宮下 康平(S.C.ALLIANCE)
システムチューナー:渡邉武生(S.C.ALLIANCE)
システムアシスタント:小林薫(S.C.ALLIANCE)
映像:Justine Emard
映像エンジニア:吉田佳弘(Edith Grove)
照明:空本朋之
ライブカメラ・収録
クリエイティブディレクター:Ben Ditto, Siana-Leann Douglas(Yaya Labs)
映像テクニカルマネージャー:工藤優(Oasis sound design inc.)
映像エンジニア:山本可文(Brains)、渥美淳(Nishio rent all)
映像スイッチャー:鴨川亮介
カメラ:堀川智世、松本喬行、矢口綾、岡部緩奈、浮田寛光、高村和樹、佐藤有香
カメラアシスタント:岩本唯花(Brains)
映像録画:竹内祥訓(Oasis sound design inc.)
〈オーケストラ・楽器〉
リハーサル指揮:夏田昌和
スコア製作アシスタント:菊川裕土
ピアノ調律:大豆生田恩(B-tech Japan)
ステージマネージャー:根本孝史
〈録音〉
Liveレコーディング:四ノ宮祐(TBS ACT)
MTR オペレーター:加藤恵理(TBS ACT)
アシスタント:秋元孝夫
舞台監督:尾崎聡、串本和也(株式会社RYU)
音響・映像技術監督:鈴木勇気
グラフィックデザイン:田中良治(Semitransparent Design)
撮影:新津保建秀、竹久直樹、渡邉りお
ヘアメイク(渋谷慶一郎):Hayate
制作:松本七都美、大迎美希、小川滋、古宮由佳、服部亜莉沙、藤巻俊介、小嶋瑠記、鈴木麻里、宮内奈緒、田中健斗
制作協力:国立音楽大学
アンドロイド製作協力:株式会社カラクリプロダクツ、令和工藝合同会社、Real Box
技術協力:YAMAHA MUSIC JAPAN CO., LTD., Dreamtonics Co., Ltd., NATIVE INSTRUMENTS, RygaSound
アンドロイド・オペラ「MIRROR」初演・共同制作:Théâtre du Châtelet、国際交流基金、ATAK
主催:メルコグループ
企画制作・運営:ATAK



























