YouTubeはクリエイターにどのように寄り添ってきたのか YouTube Japan担当者と振り返る15年間【前編】

YouTubeはクリエイターにどう寄り添ってきた?【前編】

 2022年6月19日にYouTube日本語版は15周年を迎えた。YouTuberという職業も世間に浸透し、「好きなことで生きていく」姿が人々の憧れとなった現在。YouTubeはこうしたプラットフォームを構築するまでどのような道のりを辿ってきたのか。

 YouTubeで活躍するクリエイター、そしてクリエイターの活躍を支えるエコシステムとのパートナーシップを統括するYouTube Japan クリエイターエコシステムパートナーシップ統括部長のイネス・チャ氏に話を聞いた。

 前編では、日本においてYouTubeクリエイターの認知を広げたヒカキンの誕生から、どのようにして彼らが“クリエイター”として認められるに至ったのか紐解いていく。

YouTubeクリエイターの社会的認知を広めたヒカキン

ーーまずは日本におけるYouTubeクリエイターの最初期を振り返っていただきたいと思います。一般的には、ヒカキンさんの動画「Super Mario Beatbox」(2010年6月17日投稿)のヒットが、日本人YouTuberの隆盛を招いたひとつの契機だと見られているかと思いますが、いかがでしょうか。

イネス・チャ(以下イネス):おっしゃる通りです。私の考えとして、なにかが「職業」として認められるようになるには、必要な条件がふたつあると考えています。まずは大前提として、お金が稼げる、収入を得られること。そしてもうひとつが、その職業でみんながわかるような灯台的な存在が現れること。このふたつの条件が揃うことで、職業として認められ、社会的認知が広まっていく。YouTubeで言えば、そのきっかけとなったのは言わずもがなヒカキンさんで、その存在は非常に大きかったと認識しています。

 2008年から個人クリエイターが動画投稿をして収益化できる「YouTube パートナープログラム」を始めていましたが、あくまでローンチしただけで、世間一般的にプログラムが使われるようになるまでには、やはり一定の時間を要したわけです。そんななか、ロールモデルとなったのがヒカキンさんでした。ヒカキンさんこそ、YouTubeクリエイターとしてのパーセプション(認知)を作り上げ、現在のトレンドの礎を築いた重要な存在だと考えています。

Super Mario Beatbox

ーークリエイティブに対して適切な報酬が支払われる、という仕組みは、UGCの広がりに大きな役割を果たしたと思います。

イネス:最初はYouTubeクリエイターさんとお会いして対話する際も「僕の仕事ってクリエイターと呼ぶんですか?」と言われることが多かったですね。これは日本だけでなくアジア各国でもそうでしたが、そこから数年でYouTubeクリエイターという職業が確立していきました。自分自身でクリエイティブなことをやり、ファンを見つけて繋がりたいーー例えばこのような夢があったときに、それを叶えるために履歴書に書いてどこかへ応募するのではなく、プラットフォーム上で自分のコンテンツを作っていくという選択肢が現実的なものになった。これがちょうど時代の変化の中で起きたことだと思っています。

ーー黎明期のゲーム実況などを含め、収益化が難しく、多くのファンを抱えていても「好きなことで、生きていく」とはいかない時代が続いていました。活動を継続することができず、惜しまれつつ引退したクリエイターも少なくなかったと思います。

イネス:そうですね。当時においては、フルタイムのクリエイターよりも、ある種、芸人さんのような感じでバイトを掛け持ちしながらYouTubeにも動画をアップロードし、いずれは有名になることを目指していた方が多かったです。そこからパートナープログラムの仕組みを整えていき、「好きなことで、生きていく」とプロモーションで銘打ったYouTubeクリエイターのファースト・ジェネレーション(第一世代)が、マスメディアからも脚光を浴びることになりました。

好きなことで、生きていく - はじめしゃちょー - YouTube TVCM

ーーただ、社会的には必ずしも「クリエイター」とは受け止められず、例えば「楽して稼いでいる」というような、奇異の目を向ける人も少なくなかったと思います。

イネス:確かに、メディアから取材を受ける際に「好きなことで生きていくことって、すごく素敵ですね」と言われることも多かったのですが、それが決して簡単なことではない、ということはいまほど認知されていませんでした。「好きなことで、生きていく」のは本当に大変で、特に成功を収めているYouTubeクリエイターは、非常にストイックに自身のコンテンツと向き合い、計画やビジョンを持っている方が多いんです。当時の取材でも、みなさんが非常に努力されて、いまの地位を獲得していると言うことを強調してきました。

 おっしゃるように、「好きなことで、生きていく」ことと、「楽をして生きていく」ことはまったく違って、毎日のように動画投稿をするというのは、大変な仕事量です。いまは分業も進んでいますが、特に第一世代のクリエイターさんたちは、自分で動画の内容を考え、準備をして、撮影して、もちろん自身で出演して、さらに編集を行って、納得いくまで見直してアップロードして……ということを日々繰り返してきたわけです。それだけではなく、再生数やファンのコメントをチェックして、改善を繰り返していく、というプロセスもあり、本当に多くの時間を動画活動に費やしている。もちろん「好き」だからこそやれている部分もありますが、それだけでは続けることはできないので、少しでもサポートできるようにと、いまも精一杯応援しています。YouTubeクリエイターには努力家が多く、ひとつの道を極めるために必死に頑張っているんだというのが、もっと伝わるようにしていきたいですね。

ーー冒頭にヒカキンさんのお話がありましたが、同じくヒューマンビートボクサーのDaichiさんも、YouTubeパートナープログラムが導入されて間もない2009年、世界大会の選考動画で大きなバズを起こしています。最初期はこうした特別な技術、“一芸”を持ったクリエイターから火がついていった、という認識でいいでしょうか。

イネス:そうですね。ヒューマンビートボックスのような言語の壁を越えるパフォーマンスは、グローバルプラットフォームであるYouTubeで注目を集めやすいコンテンツです。言葉がわからない方にも視聴してもらえたり、リアクションやコメントといった反応をもらえたりします。その意味では、昨年ローンチした「YouTubeショート」(最大60秒までの縦型動画)は、より言語の壁を越えやすく、短尺の動画でインパクトのある表現がしやすくなりました。ショート動画で世界的な人気を獲得する日本人クリエイターが増えていますね。

Daichi for Beatbox Battle Wildcard

ーーショート動画を軸とした「Junya.じゅんや」さんや「Sagawa /さがわ」さんの活躍は目覚ましいですね。言語の壁を越えると、これだけスケールするのかと驚かされます。

イネス:もちろん、日本国内のドメスティックなプラットフォームには、日本人のニーズを捉えながら成長してきた側面があり、また別の魅力があると思います。YouTubeが日本に上陸したときから、よく「競合はどこで、どう考えているのか」と聞かれてきましたが、競争を制してYouTubeだけを使ってもらいたい、という考えはまったくなく、個々のクリエイターが持つ才能をファンに届けるためのひとつのツールである、というスタンスはいまも変わりません。

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