3D版『牛乳を注ぐ女』やVRオフィスの開設……メディアアーティスト・坪倉輝明が気鋭の作品を発表し続ける理由とは

メディアアーティスト・坪倉輝明が気鋭の作品を発表し続ける理由

 様々な表現方法が存在するなかで、デジタルツールを使いこなし、さまざまな作品を生み出すデジタルアーティストが注目を集めている。特集「Roots of Digital Creators」ではそんなデジタルアーティストたちのバックグラウンドに迫っていく。彼らは、どんなものに影響を受け、育ち、作品を生み出しているのかを軸にした記事を展開していく。

 今回は数々の受賞歴を持つ新進気鋭のメディアアーティスト・坪倉輝明氏を取り上げる。インタラクティブな映像演出やソフトとハードをクロスオーバーさせた体験型コンテンツの作品を手がける坪倉氏は、学生時代をどう過ごし、今の地位を築いてきたのか。これまでのルーツを振り返ってもらうとともに、メディアアーティストとしての心構えやアイデアの生み出し方についても語ってもらった。

幼少期からデジタル製品に囲まれて育つ

 まずは坪倉氏の幼少期についてや、メディアアーティストとして活動するようになったきっかけを掘り下げていく。

 京都府の舞鶴市で生まれ育った坪倉氏は、幼少期からワープロなどのガジェットに囲まれながら日々過ごしていたという。

坪倉輝明

 「父が家電量販店を経営していたこともあり、家の中はたくさんのデジタル製品であふれていました。僕自身もパソコンでゲームをやったり、当時流行った家庭用TVゲーム機『セガサターン』でゲームをプレイしたりしていましたね。また、父がパソコンで簡単なゲームプログラミングを書いてテキストゲームを制作しているのを見て、『パソコンでこんなことができるんだ』と興味を覗かせていたのを覚えています」

 小学生の頃はWindows 98のパソコンで、ホームページビルダーでホームページを立ち上げ、周囲の友達に自慢していたそうだ。

 さらには、アニメーション制作ソフトウェア「EVAアニメータ」を使い、自分で描いた絵やキャラクターをパソコン上で動かしたり、手作りラジオやインターホンなどの電子工作を手がけたりと、ものづくりへ情熱を注ぐ子供だった。

 そんな坪倉氏が将来を考え始めたのは高校時代だ。

 父の勧めで、山梨県にある日本航空高等学校へ進学。

 親元を離れて寮生活を送っているなかで、漠然と将来はものづくりへ携わりたい。

 そう思うようになったそうだ。

 「ものづくりはずっと好きだったので、色々と考えていくうちにWebプログラマーになりたいという気持ちが湧いてきて。そこで、大学は金沢工業大学のメディア情報学科を選び、より専門的な知識を学ぼうと思ったんです」

 坪倉氏にとって、大学時代は今のメディアアーティストとして活動する原点になっている。

 WEBシステム開発からプログラミング、動画制作、ゲーム開発など、さまざまなテクノロジーに触れる授業を受け、自分でアウトプットしながら次第にスキルを習得していったという。

 「ゲーム開発における3DモデリングやFlashでアニメーションを学んだり、動画制作で得た知識はVJをやって実際に映像として表現したりと、授業で学んだものをアウトプットして具現化することを意識していました。また、大学の研究室にメディアアートをやっている先輩がいて、その人にすごい影響を受けたんです。

 そこからメディアアートにも興味を持つようになりましたね。ですが当時は、まだメディアアートがお金になるとは想像もつきませんでした。ニコニコ動画で『〇〇を作ってみた』系の動画を発表するカテゴリー(ニコニコ技術部)があるんですが、そこで自分の作った作品を発表するなど、あくまで趣味の延長線上でしか考えていなかったんです」

国立新美術館での思わぬ出会いが人生の転機に

 大学卒業後は、石川県のシステム開発会社へ就職し、Webエンジニアとしてのキャリアをスタートさせる。

 そんななか、転機になったのは大学の卒業制作で作った「Shadow Touch」という作品が、学生CGコンテストのインタラクティブ部門で優秀賞を受賞したことだった。

「Shadow Touch」

 受賞者は、六本木の国立新美術館で展示する機会が与えられ、坪倉氏にとっても自身の作品を多くの人に見てもらえる願ってもないチャンスになったのだ。

 「展示の会期が10日間くらいもあったので、想像以上に多くのお客様に自分の作品を見てもらって。国立新美術館という有名な場所で、自分の作品を展示するのは初めてだったため、とても嬉しかったですね。なかでも印象的だったのが、ある車椅子のお客様がいらして、僕に色々と興味津々に話しかけてくれたことでした。京都で広告制作会社を経営していると聞いていたんですが、実はその方こそ株式会社1→10(ワントゥーテン)の澤邊社長だったんです。『うちの会社に来なよ!』とお誘いを受けたことがきっかけで、のちにワントゥーテンへ入社することになった。まさに、思わぬターニングポイントになったのが、国立新美術館での展示だったんですね」

 こうした偶然の出会いが契機となり、坪倉氏は石川のシステム開発会社を1年半ほどで辞め、ワントゥーテンへ転職することになる。

 ちょうどその頃は、teamLabなどのクリエイティブ集団がインスタレーションを発表し、テクノロジーとリアルな体験を融合させるような作品が流行り始めていたことから、坪倉氏はインスタレーションを作る専門部署に初期メンバーとして配属される。

 「インタラクティブな体験に紐づくものづくりを中心にいわゆる“テクノロジーバズ”を生み出すために、それこそありとあらゆる技術を盛り込んで、大胆な広告制作を手がけていくのがミッションでした。広告業界は最新技術を使うことにこだわる傾向があって、プロジェクションマッピングやドローン、Kinectによるボディトラッキング、AR、VRなどの表現技術を駆使しながら、クライアントワークをこなしていました」

技術を習得するために投資したお金は500万円以上

 このようなクライアントが求める技術や、自分がまだ触ったことのないテクノロジーをキャッチアップし、自分のものにしていくにはどのように取り組んでいるのだろうか。

 坪倉氏は「クライアントワークは使ったことのある技術を使いつつ、個人の活動で技術や表現の幅を深められるように心がけている」と話す。

 「技術を探求し、自分のクリエイティビティを磨いていくのは好きなので、クライアントワークとは別にさまざまな技術に対し、常にアンテナを張っています。例えば、VRに関してもOculusが出始めた頃の初期から開発者向けのデベロッパーキットを自腹で購入し、プロトタイプを作っていましたし、個人の活動で習得した技術を会社にプレゼンして好反応がもらえれば、実際にクライアントワークでも導入したりしていましたね。

 個人的に技術を習得するためにハードウェアやものづくりに必要な機材へ投じたお金は、おそらく500万円以上。それだけ自分の引き出しを増やしていくことに時間やお金をかけています」

 これだけの情熱を持ちながら、クリエイティブと向き合うことができるのは、「お客様の反応がじかに見られる体験型コンテンツを作り、技術の力で驚かせたいから」だと坪倉氏は言う。

 「クライアントワークは、言ってしまえば目指す目標を達成できるのなら、テクノロジーやクリエイティブは正直何でもいいんです。電子工作が必要だったらC言語を書きますし、最新技術を使ってリッチに表現した方がいい場合はそうします。また、手品やトリックの技術も応用して取り入れるケースもありますね。ただ、根底にあるのは『お客様をあっと驚かせたい』というモチベーションです。制作物を設営している時に、お客様のリアクションを想像するのがすごく楽しいんです」

 ワントゥーテン時代には、未来の車社会を描いた東京モーターショーのTOYOTAブースや人気小説『ソードアート・オンライン』の世界観をVRで体験できるイベントなどを手がけ、大きな話題を喚起することに成功。

 クライアントワークを通じて、坪倉氏は着実に自身のクリエイティビティに磨きをかけていった。

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