AIアーティスト・岸裕真が語る、NFTとの距離感 「曖昧なもの」に価値をつける魅力と欠点

岸裕真が語るNFTとの距離感

 2021年、世界的に話題となった「NFT(Non-Fungible Token:非代替性トークン)」。デジタルコンテンツに限らず、ゲーム、スポーツ、ファッションなど様々なカルチャーのなかでもNFTが活用されるようになり、オークションでは数億円ほどの高値で取引きされるものも出てくるなど市場は急成長している。そして、複製可能な観点からなかなか価値が紐付けられなかったデジタルアートの世界にもNFTは存在感を示し始めた。アーティスト自身はこの“NFTバブル”をどう見ているのだろうか。AIアーティストとして活躍し、自身もNFTアートを制作している岸裕真に話を聞いた。

岸 裕真
AIを人を模倣するものではなく, 異次元のエイリアンの知性として捉え, その知性を自らの身体にインストール・依代として貸し出すことで, デジタルな知性とアナログな身体を並列関係に配置した制作を行う.
制作の中にはしばしば過去の美術史のモチーフが借用され, それが歪な形でテクノロジーと接合されることで, 作品空間に介入した鑑賞者は今ここに存在する自己や世界に対する意識が一瞬脱臼するような感覚を想起する.
またNIKEやVOGUEにも作品が起用されるなど, 多領域にわたり活動中.
(岸 裕真公式サイトより)

NFTは「パン屋の匂いをかぐ」ような曖昧なものに価値を付けられる

ーー岸さんがAIアートを制作するようになったきっかけは?

岸裕真(以下、岸):学生時代からずっとアートへの憧れがありつつ、学問に専念し続けていたこともあり、まずアートに対するコンプレックスがあったんです。さらに大学時代からいままで8、9年ほどずっとAIと向き合う中で、今後技術がさらに進化して社会に浸透していったときに、 AIに置換され得ない領域は何かと考えると、おそらく美術やエンターテインメント、文化芸術なんじゃないかと思いました。そういう領域に人とAIが協働してアプローチすることはきっと意義のあることなんじゃないかと思ったので、作品を制作するようになったんです。

ーー最後まで人が携わる意味のある領域が、アートだったんですね。

岸:そうですね。テクノロジーが加速度的に人やその社会の機能を代替をしていく一方で、アートは置換される順番がかなり後ろの方なんじゃないかと思っています。

ーー最後にはアートもAIによって侵略されるのか、それとも人と共存していくのか、このあたりはどのように考えていますか?

岸:今後どっちになるかは、まだわかりません。そこが美術の面白いところです。美術というのは、2万年前ごろのラスコーの洞窟壁画から始まったと一説ではいうことができると思いますが、ようは人の営みの記憶だと僕は考えています。それを絵の具やキャンバスに残していた時代もあれば、木の幹を削っていた時代もあった。そこにマルセル・デュシャンが『泉』という作品を通して、絵の具を使うとか、木を削るといったルールを拡張して、「人が選ぶ行為がアートである」と提示した。こういう風にアートの概念が変わり続けていく中で、僕はいま、“人と人じゃないものが一緒に選択するものが、はたしてアートとなり得るのか”という領域に足を伸ばしていきたいと考えています。今後AIが自律的に何の目的もなく作ったものがアートになるかもしれないし、人の手が加わっているものがアートであるとみなされるかもしれない。ちょうどその分岐点にある、興味深い時代に生きていると思っています。

ーーまさにいま、その答えを模索している段階なんですね。昨今ではNFTが加熱していて、デジタルアートへの注目度も増していますが、岸さんは界隈の盛り上がりをどう捉えてますか?

岸:技術的には素晴らしいものだし、理念としては賛同できるのですが、空回りしてる印象があり、ちょっと複雑な気持ちです。実はいま、 NFTと距離を置いているんですよ。

ーー空回りというのは、うまく利用されていないということでしょうか?

岸:そうですね。投資家が小さなお金を作るために利用してる面が、あまりに人々の注目を集めてしまっている印象があります。応援している概念だからこそ、心苦しいですね。ちょっと前までは僕の作品をミント(新たにNFTを生成すること)していたんですけど、最近はあまりしていません。ただ今後間違いなく台頭してくる概念なので、いまは熱が冷めるの待ちながら、次の作品の準備をしている段階です。

ーーNFTの現状は投資家のために盛り上げているようにも見えてしまいますね。

岸:お金がたくさん流入して経済圏ができるのは大事なことなので、それ自体が不健全だとは思いません。ですが僕はアーティストなので、いい作品が世の中に正当に評価される仕組みであるかどうかを重視します。現時点では、あまりにも作品を“消費”する感覚が強いと感じるんです。

ーー“消費してる感”は買い手だけではなく、作り手側にもあるのでしょうか?

岸:それもありますね。よくあるアーティスト論に「いい作家は、求められてなるものだ」というものがありますが、僕は誰かを救うものや、未来を創造するために生まれたものの方が、後世に残る強度の高い作品になると考えています。けどいまのNFT界では、仮にそういった作品が投下されても、世間は正当な評価を下さないですよね。いくらの値がつくのかが先行してしまう。その雰囲気が苦手で、ちょっと気まずいです。

 これはおそらく、作り手と買い手の思想が一致してないのが原因でしょうね。もちろん現代アートは投機的な役割も大きいので、一概にそれを否定するわけではないのですが、あまりに欲望のピラミッドが不均衡だと思うんです。

岸裕真
岸裕真

ーー“気まずい”という表現に、作り手としての葛藤が伺えます。ここで改めて、AIアーティストから見た、NFTの魅力と欠点を整理していただけますか?

岸:NFTの最大のメリットは、今まで価値づけが難しかった実態がないものに価値をつけられることだと思います。例えば今ここで僕がこのペットボトルを机に置くような単なる行為もNFTとして販売することもできるし、別にデジタルな何かじゃなくてもいい。従来であればコンセプトアートはサーティフィケーションという証明書を発行して売るものだったのですが、NFTの世界ではそれがテクノロジーによってより技術的にも信頼性を担保しながら価値づけられるようになったことが、非常に重要な点です。

ーーデジタル作品などの、一点ものだったり所有する感覚がないものも、所有できるようになるということでしょうか?

岸:いや、デジタル作品をNFTとして発行してもコピペはできるので、複製が不可能なわけじゃないんですよ。そこは多くの人が履き違えている部分かもしれないです。話が少し飛躍しますが、たとえばパン屋さんの匂いをかぐと、名状しがたいなんともいい気分になることがあります。そういう曖昧だけど従来のシステムでは数値化されていないものに価値がつけられることがNFTの特徴なので、デジタルアートだけに集約しちゃうのはもったいない。たしかにNFTによってイラストレーターが食べていけるようになるかもしれないのは良い点だと思います。でも僕は100年後、1000年後のことを考えると、突飛かもしれないですけどパン屋さんの匂いのような、曖昧だけど良いものがもっと増えるといいなと思っています。

 次にデメリットですが、よく言われるのは環境汚染ですね。例えば1つのNFTを生み出すのに、画家のアトリエの電気代を上回るくらいの電力消費がなされてるというレポートがあり議論を呼んでいます。日本ではあまり触れられていませんが、海外では多くの人が指摘していますね。もう1つの問題として、まだNFT関連の法整備が十分ではないので、販売した作品が詐欺などの犯罪に巻き込まれたときに、作家自身が保護されない危険性があります。安全が担保されていない状態で、マーケットが大きくなってしまうのはいかがなものかと。NFTの欠点といえば、環境汚染と法整備の2つが代表的だと思います。

 あとは曖昧なものに価値をつけることで、失われるものがあることかな? 街中がパンの匂いで溢れかえったとすると、犬のフンの匂いが街から消えてしまうかもしれない。それは良いことなのだろうか、といま一瞬考えてしまいました。

ーー曖昧なものに価値をつけることのデメリットも、当然生まれるわけですよね。

岸:そうですね。資本主義的なアプローチによって全部が商品になってしまうことに、意義を申し立てる人もいそうですね。

ーー岸さんは人間だけが感じられるものを大切にされているように思うのですが、そう考えるようになったきっかけはありますか?

岸:高校時代フジファブリックが大好きで、その世界観の影響を受けてるかもしれません。なんとなく町を歩いていて、5時に夕方のチャイムが鳴った瞬間、ちょっとはっとしてしまうような感覚。あれってすごく人間らしくて尊いじゃないですか。もしかしたら当時から、人間にとって1番大事なものは何なのかと考えていたのかもしれません。

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