25年前、静かに発売されて埋もれていった「現代を舞台にしたゼルダ」な名作『マーヴェラス ~もうひとつの宝島~』が残したもの

25年前、静かに埋もれた名作『マーヴェラス』

 いまから丁度25年前の1996年10月26日。NINTENDO64へと代替わりし、現役を退きつつも、新作の供給は続いていたスーパーファミコンで、ひとつのアクションアドベンチャーゲームが任天堂から発売された。

 その名は『マーヴェラス ~もうひとつの宝島~』。

 「任天堂初の本格ACT(アクション)アドベンチャーゲーム登場!!」という見出しがパッケージ裏に記された本作は、3人の少年たちが、海賊に誘拐された担任の先生を救出するため、伝説の大海賊「キャプテン・マーヴェリック」の財宝を巡る冒険を描いた作品である。

 開発には『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』でプログラム周りを担当されたスタッフが数人参加。さらにゼルダシリーズの効果音や演出も用いられていることから、「現代を舞台にした『ゼルダの伝説』」とも称せられるゲームになっている。

 しかし1996年当時、このようなゲームが発売されたのを知る人は少なかったのではないかと思われる。その理由は単純だ。テレビコマーシャルが全く放映されなかったからである。むしろ、当時は同じ10月発売の『ピクロス2』、『ヨッシーのパネポン』といった、携帯ゲーム機『ゲームボーイ』の新作の宣伝が重点的に行われていた。

 そのため、宣伝されていたゲームを買いにお店へ行ってみたら、見慣れない新作が並んでいたという、不思議な体験をした人が当時、少なからずいたかもしれない。

 そのような経緯もあって、本作の知名度は数ある任天堂のゲームの中でも低い部類に入る。だが、ゲーム自体の完成度は非常に高く、後の『ゼルダの伝説』シリーズにも影響を与えた、歴史の一部に刻み込まれるほどの名作なのである。

元は伝説の『スーパーファミコンCD-ROMアダプタ』向けに作られていた作品

 『マーヴェラス ~もうひとつの宝島~』(以下、マーヴェラス)は1996年に発売されたゲームだが、その始まりは1991~1992年頃、約5年ほど前に遡る。以降の情報は、本作の『任天堂公式ガイドブック マーヴェラス ~もうひとつの宝島~(小学館)』(※2021年現在は絶版)の108ページ掲載のスタッフインタビューを元に抜粋したものとなる。

 当時、任天堂はスーパーファミコン本体に接続する新しい周辺機器『スーパーファミコンCD-ROMアダプタ』を、ソニーとの共同で開発を進めていた。後に『PlayStation(プレイステーション)』の原型として語られることになる、伝説の機器である。

 『マーヴェラス』は、そんな『スーパーファミコンCD-ROMアダプタ』向けのゲームとして企画が立ち上げられた。3人の少年が大海賊「キャプテン・マーヴェリック」を追って冒険を展開するストーリーと世界観もこの頃には固まっており、ゲーム中に数10秒のアニメーションムービーが流れる演出の採用も検討されていたという。

 実際にアニメーション用のセル画も描き起こされており、公式ガイドブックの109ページには、実際の製品版では姿を見せなかった「キャプテン・マーヴェリック」、そして彼と敵対する悪の海賊、2人のキャラクターが紹介されている。

『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』本予告第2弾 2020年9月18日(金)公開

 また、このアニメーションムービーは『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』、『小林さんちのメイドラゴン』などで知られる京都アニメーションが制作を担当していた。公式ガイドブックのインタビューページに掲載された写真を見る限り、原画は任天堂社内に保管されていると推察されるが、2021年現在も現存しているのかは不明となっている。

 こうして方向性が確立されていった初期の『マーヴェラス』だが、残念ながら『スーパーファミコンCD-ROMアダプタ』の発売中止に伴い、一連の企画案は全て幻に終わってしまった。

 その後、ROMカセット用のゲームソフトとして再出発し、CD-ROM版には存在しなかったゲームシステムの採用、設定周りの見直しが図られ、1996年10月に晴れて製品版が発売されるに至った。

 なお、本作のディレクターを担当したのは、いまやゼルダシリーズのプロデューサーとして知られる青沼英二氏。『マーヴェラス』は氏にとって、初めてのディレクター作品なのである。そして青沼氏は、本作の後に『ゼルダの伝説 時のオカリナ』の開発へと参加し、以降のゼルダシリーズの主要なスタッフになっていくことになる。青沼氏のゼルダとの関わりは、この“現代版ゼルダ”とも称せる『マーヴェラス』から始まったといっても過言ではないのだ。

 ただ、そのような紆余曲折を経て誕生したゲームがあまり世に知られることなく、出てしまったのは惜しまれる限りである。

 まったく宣伝されなかったわけではない。当時、任天堂が運営していたスーパーファミコン向けの衛星放送受信サービス『サテラビュー』では、本作の世界を発売直前に体験できる『BSマーヴェラス・タイムアスレチック』なる特別プログラムが数回に渡って組まれていた。さらに当時、テレビ東京系列で放送された、任天堂1社提供のゲーム情報番組『64マリオスタジアム』においても、数週に渡って本作のゲームプレイ映像を紹介し、クイズも出題される特集が行われている。発売から数カ月が経った後にも、ゲーム中に登場する博士に、とあるアイテムで演歌を聴かせると、全回復アイテムが手に入る隠しイベントの紹介特集が組まれている。

 また、ゲーム雑誌、漫画誌においても、本作はきちんと紹介されている。ちなみに筆者はソフトバンク出版事業部(現SBクリエイティブ)より刊行されていたゲーム雑誌『スーパー64』(※1996年12月を以て休刊)と、小学館の『コロコロコミック』、そして前述の『64マリオスタジアム』の特集を通す形で、このようなゲームが10月下旬に発売されるのは事前に把握していた。

 裏を返せば、よほど熱心にゲームの情報を追いかけていなければ、知ることすら困難だったわけである。また当時、発売前に雑誌や前述の『64マリオスタジアム』での情報を目にしていた人間としては、紹介された内容にも若干、問題があったように思える。というのも多くのメディアが、序盤の1章の情報と紹介だけに終始していたためである。他にどんな章があるのか、ゼルダみたいに戦闘イベントはあるのかといった情報は伏せられていて、地味なゲームとしての印象も漂っていたのを筆者は記憶している。そのため、筆者自身は当日購入にまでは至らなかった。むしろ、丁度1カ月後の発売が報じられていた『スーパードンキーコング3 謎のクレミス島』と、12月発売の『マリオカート64』に興味を持っていかれていた。

 最終的に1997年の年明け、本作に強い関心を抱く出来事を経て、筆者は製品版の購入に至ったが、25年が経ったいまとなっても当時の宣伝のやり方には疑問が残る。

 なぜこんなにも限定的な宣伝に留めたのか。前述の『スーパードンキーコング3 謎のクレミス島』が1カ月後に控えている事情が何か影響したのか、最初からターゲットを絞る前提だったのか。真相は定かではない。

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