『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』が“ヒーロー映画”として成し遂げたもの

しかし本作のピーターは、力を捨てることも、力に呑まれて人間性を捨てることも拒み、「最高のピーター・パーカー」と「最高のスパイダーマン」を同時に成立させようとする。犠牲を前提とする倫理からの脱却。そこには、「ワーク・ライフ・バランス」の調和や、「自己責任論」から離脱するような思想が垣間見える。
このテーマと鏡像関係にあるのが、セイディー・シンク演じる、あるキャラクターの復讐劇だ。身内の喪失に囚われた彼女は、悲劇と責任のすべてを一人で背負い込み、復讐を生きる目的にしていく。これはまさに、ピーター自身が陥っていた孤立の構造そのものである。だからこそ、復讐に走る彼女をピーターが引き止めるクライマックスは、“復讐は何も生まない”といった、われわれが創作物で聞き続けて麻痺しているようなロジックに収まらない。
こうした、一人で抱え込むことからの脱却は、個人の成長だけを問題にしているわけでもないだろう。傷ついたスパイダーマンが運ばれた病院の前に、ニューヨーク市民が駆けつけるシーンが、それを物語っている。市民たちは、ただファンとして集まっているわけではないはずだ。自分たちのために傷ついたスパイダーマンのために声をあげ、祈り、自分たちの手で支えようとしているように感じられる。街のために負担を背負わされてきたヒーローに対し、市民が自分のことのように、彼を支えようとしているように感じられる。
そうした連帯は、現代社会の深刻な自己責任論問題へのカウンターとしても機能しているように思える。現実にわれわれの生活を成り立たせているのは、社会を足元で支える人々の献身だといえる。経済社会のシステムのなかで歯車となり懸命に働く人々がいなければ、システムは機能不全に陥ってしまう。それなのに、人々のために尽力している人ほど、往々にして割を食ってしまうものである。
この献身を、感動的なヒーロー的行為として無邪気に称賛してしまうことは、特定の誰かに過剰な負担を押しつけ続ける構造を覆い隠してしまうのではないか。必要なのはヒーローをただ称えることではなく、負担や痛みを少しずつでも分かち合うことなのではないだろうか。
前述したように、本作はMCUという巨大フランチャイズの商業的な制約に縛られた内容になっている。しかし一方で、一部に責任を丸投げするかたちでの自己犠牲を否定するメッセージは、現在の分断が進む社会を、もう一度大きな枠組みとして捉え直し、助け合うという価値観を再認識させてくれる。自己責任論が蔓延し、多くの人が孤独に疲弊しきっているいま、誰かに頼る勇気を得たスパイダーマンの姿に、社会を生きる一つの希望を見出すことができるのである。
■公開情報
『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』
全国公開中
出演:トム・ホランド、ゼンデイヤ、ジェイコブ・バタロン、ジョン・バーンサル、トラメル・ティルマン、マイケル・マンド、マーク・ラファロ
監督:デスティン・ダニエル・クレットン
脚本:クリス・マッケナ、エリック・ソマーズ
スタン・リー&スティーヴ・ディッコのマーベル・コミックに基づく
製作:ケヴィン・ファイギ、エイミー・パスカル、アヴィ・アラド、レイチェル・オコナー
エグゼクティヴ・プロデューサー:ルイス・デスポジート、デヴィッド・ケイン
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
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公式サイト:https://spiderman-movie.jp
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