“シンデレラ”から“等身大”へ 20年の変遷から読み解く“韓ドラヒロイン進化論”

韓国ドラマヒロイン進化論

 韓国ドラマのヒロインは、いつから「救われなくなった」のか。ふと、そんな問いが頭をよぎった。2026年春、Netflixで配信された新作群を眺めながらのことだ。誰ひとり、かつての「守られる存在」ではない。

 『本日も完売しました』のヒロイン、イェジン(チェ・ウォンビン)は、仕事に全力を注ぎ疲弊したキャリアウーマン。『素晴らしき新世界』では、朝鮮時代の悪女の魂を宿した無名女優シン・ソリ(イム・ジヨン)が物語を駆動させる。『誰だって無価値な自分と闘っている』のピョン・ウナ(コ・ユンジョン)は、心をすり減らしながらも前へ進もうとするPDだ。

『誰だって無価値な自分と闘っている』(JTBC公式サイトより)

 彼女たちの姿は、かつての「シンデレラ」という定型が完全に崩壊したことを示している。そしてそれは、韓国ドラマが20年以上かけて塗り替えてきたヒロイン像のひとつの到達点でもある。では、その原点はどこにあったのか。あの輝かしい「救済」の物語は、どのようにして「いま」のリアルな息遣いへと変容したのだろうか。

 韓国ドラマのヒロイン像を語るうえで、その源流としてしばしば指摘されるのが、1970年代に日本で社会現象を巻き起こした少女漫画に代表される系譜である。恵まれない境遇に生まれるも、明るく一途で、どんな逆境にも負けず、理不尽な苦労を笑顔で乗り越え、最終的には真の愛に辿り着く。

 記憶喪失、交通事故、難病――現在の韓国ドラマにも通じるモチーフは、この時点ですでに形づくられ、姿を変えながら現代まで受け継がれている。「逆境に耐える健気なヒロイン像」という定型は、韓国ドラマの黄金期を支えたヒロインたちの原型のひとつと言えるだろう。

シンデレラ型ヒロインの誕生

『マンスリー彼氏』Netflixにて配信中

 その系譜が日本で爆発的に受容されたのが、2004年に放送され、瞬く間に社会現象を巻き起こした『冬のソナタ』だ。韓流ブームの起点として語られる本作は、まさに「救済されるヒロイン」の物語を象徴していた。チェ・ジウ演じるユジンは、初恋の記憶に生き、理不尽な運命に翻弄されながら涙を流し続ける。交通事故、記憶喪失、出生の秘密といった「お約束の障壁」が幾重にも積み重なり、そのたびに感情は極限まで揺さぶられる。ユジンはその都度、涙を流す(毎話泣いていたのではなかろうか。チェ・ジウは『天国の階段』と併せ「涙の女王」の称号を得た)。視聴者はユジンに自らを重ね、彼女が流す涙とともに物語へと深く没入していった。

 興味深いのは、ヒロイン像をめぐる受容の差異だ。韓国の若い視聴者の一部には彼女の姿が「優柔不断」と映った一方で、日本では「健気で純粋」として、とりわけ中高年女性層から熱烈な支持を集めた(微笑みの貴公子ヨン様(ペ・ヨンジュン)旋風が巻き起こる)。このズレは、当時の社会やジェンダー観の違いを映し出す鏡でもあっただろう。

 同時期に人気を博した『天国の階段』や『悲しき恋歌』においても構図は共通している。執拗な嫌がらせ、不治の病、避けがたい別離、次々とヒロインに襲い掛かる過剰ともいえる試練の連鎖。ただひたすらに耐え続けるヒロインの姿は、視聴者の涙腺を強く刺激した(『天国の階段』『悲しき恋歌』で相手役を演じたクォン・サンウも「涙の貴公子」という愛称がつき、とにかく涙する!)。

 耐えること、そして愛されること。それがこの時代のヒロインに課せられた徳目だった。特に序盤で描かれる悲惨な境遇は、視聴者に「どうか彼女が報われてほしい」と願わせる装置として機能している。

 ヒロインの幸福の鍵は常に外側にある。運命の男性、いわば「白馬の王子」という他者の手に委ねられ、ヒロイン自身がそれを取りに行くことは許されない。だからこそ彼女たちは、選ばれるその瞬間まで、ただ耐え、信じ、待ち続けるしかなかった。そこにあったのは、「いつか救われる」という約束に支えられた物語である。

愛されることで輝く——シンデレラ型の洗練と、その限界

『キム秘書はいったい、なぜ?』©︎STUDIO DRAGON CORPORATION

 やがてその系譜は、より洗練されたかたちで2010年代へと受け継がれていく。「シンデレラ型」と呼ぶべきヒロイン像の完成期だ。2009年放送の『美男ですね』では、修道女を目指していたヒロイン、コ・ミニョ(パク・シネ)が、双子の兄の代役として人気アイドルバンドに男装加入するという「男装もの」。健気で一途、純粋無垢といったシンデレラ型を踏襲しながら、ラブコメの笑いで軽やかに包んだこの作品は、日本でも熱狂的な支持を集めた。韓国ドラマでときおり描かれる「女性が男性のふりをする」という物語は、男性として振る舞うことでしか対等な場に立てなかったという設定そのものが、時代の息苦しさを映した鏡だったとも言えるだろう。

 転換の予兆が現れたのは、2016年の『太陽の末裔 Love Under The Sun』だ。ヒロインのカン・モヨン(ソン・ヘギョ)は、優秀な外科医であり、仕事も恋も堂々たる生き方を貫く女性として描かれた。表面上は自立したヒロイン像に見えるし、実際そう受け取った視聴者も多かった。しかし、物語の核心を辿れば、医師というキャリアはあくまで彼女の格を引き上げるための装置に過ぎず、幸福の構造はやはり「英雄的な男性に選ばれること」へと収束していた。自立しているように見えて、その実、依然として待つ女であり続ける。ヒロインの恋人ユ・シジン(ソン・ジュンギ)は、軍のエリート幹部である大尉であり、任務でいなくなることもあり、それをモヨンは待つしかない。

 同年の『トッケビ〜君がくれた愛しい日々〜』では、ヒロインが「運命の花嫁」として描かれ、ここでもキム・シン(コン・ユ)が居なくなった後、ヒロインのチ・ウンタク(キム・ゴウン)はメンタルを病むほどになり、ひたすら待つのである(のちにシンもウンタクを待つことになるが)。2018年の『キム秘書はいったい、なぜ?』でも敏腕秘書というキャリアはロマンスの舞台装置としての機能となり、シンデレラ型ヒロインは完成度を極めながら、社会の変化とともに、静かに、確実に、その限界へと近づいていく。

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