“歌舞伎町映画”が近年急増している理由 若者たちの居場所として変貌した街の魅力

「眠らない街」「東洋一の歓楽街」と言われる新宿歌舞伎町は、うさんくさい人々が行き来し怪しい店が立ち並ぶ大人の社交場として、昭和、平成の映画で描かれてきた。その結果、歌舞伎町映画としか言いようがないジャンルの邦画が定着しているのだが、令和の歌舞伎町映画を観ていると、だいぶ歌舞伎町の描かれ方が変化してきたように感じる。
4月10日に劇場公開された長久允の映画『炎上』は、宗教二世として親から虐待されてきた吃音の少女・じゅじゅ(森七菜)が家出して歌舞伎町で暮らす物語。新宿東宝ビルの横にあるトー横広場に集う子どもたち、いわゆるトー横キッズと呼ばれる人々の姿を描いた作品だが、大人の社交場とは違う歌舞伎町が、明るく楽しい子どもたちの楽園、もとい地獄として見事に描かれている。

現実の歌舞伎町でロケをし、ゴミが散らばっている風景なども撮影しているため、とても生々しい作品だが、一方でお伽噺を観ているような浮遊感も感じ、『書を捨てよ町へ出よう』(1971年)や『田園に死す』(1974年)といった寺山修司が監督したATG(日本・アート・シアター・ギルド)映画を思い出した。もしも寺山が生きていたら、トー横キッズたちをこういう風に撮ったかもしれないと感じ、新しさと同時に懐かしさも感じる映画だ。
一方、2025年に劇場公開され、Netflixで配信されたことによって新たに注目を集めている永田琴監督の『愚か者の身分』は、歌舞伎町を拠点に犯罪組織の手先として戸籍売買をおこなうタクヤ(北村匠海)と弟分のマモル(林裕太)、そしてタクヤの兄貴分の運び屋の梶谷(綾野剛)が闇ビジネスの世界から逃れようとする姿を描いた逃走劇だ。

いわゆるアウトローの世界を描いた映画で、やはり歌舞伎町というとアウトローが主人公の犯罪劇だよなぁと思いながら作品を堪能した。
リー・チーガイ監督の『不夜城』(1998年)や三池崇史監督の『殺し屋1』(2001年)など、筆者にとって歌舞伎町が舞台の映画というとヤクザやマフィアの闘いを描いた荒々しい作品のイメージが強いのだが、今振り返るとそのイメージは1990~2000年代初頭の歌舞伎町のもので、『愚か者の身分』を観ていると、だいぶ過去の風景となってしまったなぁと感じる。
2003年4月に風俗店や暴力団を一斉に取り締まった「歌舞伎町浄化作戦」以降、違法な商売に対する摘発が強化され、その後は治安が改善されていった。そのため、表面上は歌舞伎町の健全化が進んでおり、その影響は映画にも表れている。

『炎上』と『愚か者の身分』を観ていて感じるのは大人の希薄さで、子どもたちの世界として歌舞伎町は描かれている。『愚か者の身分』には、かつてはヤクザやマフィアの位置を担った悪い大人として、半グレ組織が登場するが彼らは直接的な暴力ではなく、より狡猾な手段で若者を搾取している。もちろん今もヤクザの抗争を描いた作品はVシネマ等で存在するのだが、ヤンキー映画に近い様式美の世界となっており、良くも悪くもフィクションとして愛好されているが、近年の歌舞伎町映画においては存在感が薄い。
だから、本当に悪い大人は、若者を裏で操り、中々尻尾を見せないのだと『愚か者の身分』を観て感じた。





















