『失恋カルタ』が描く“カミングアウト”の意義 セクシュアリティとしての異性愛を問う

「カミングアウト」=性的マイノリティが自身のアイデンティティを周囲に開示することを「クローゼットから出る(coming out of the closet)」という表現がされてきた。また、性的指向を公表していない状況を「クローゼット」ともいう。つまり光は「クローゼットを出た」状態で、陸は「クローゼット」であるといえる。

本作で陸がつき当る「カミングアウト」の困難は、多くの側面をはらんでいる。まず、ひとたび「カミングアウト」をしてしまえば、もはや陸はこれまでの陸ではいられないということだ。基本的に「カミングアウト」をしていない人物のことをひとは前提として異性愛者であると見なす。そこで「そうではない」と公言することは、異性愛者は貼られない“同性愛者”という性的指向にまつわる異質なイメージとともにまなざされることになるのだ。「カミングアウト」の結果として、周囲は温かく受けいれてくれるかもしれないし、冷たくつき放されるかもしれない。しかし周囲の反応は「クローゼットから出」てみなければわからないことで、陸はそのリスクをとれないでいる。
また、「カミングアウト」に対する反応として「プライベートのことを公的な場所でわざわざ言わなくても」という批判もある。しかし、基本的になにも言わずとも異性愛者という正しいアイデンティティで接してもらえる異性愛者は、そもそも性的アイデンティティがパブリックな場で承認されている。公的な場所においてもセクシュアリティにまつわることば——たとえば、妻や彼氏といった——を使うことができるということは、異性愛者にとって性的指向は公的なものである。しかしマイノリティである同性愛者にとってのセクシュアリティは私的なものとして隠され、打ち明けないかぎりは異性愛者の扱いを受ける。そもそも異性愛者と同性愛者においては公的/私的な領域がふくむ幅が違うのだが、それが混同されて批判を受けるのだ。

「カミングアウト」は、自分自身のことやパートナーのことを知ってもらうと同時に、周囲の異性愛者に対して“異性愛者”というセクシュアリティを自覚させるというはたらきももつ。異性愛があまりに普遍的なものとして受けいれられているため、彼らの経験は“異性愛者”であるがゆえの経験としてはとらえられない。異性愛を相対的にとらえることは、同性愛と異性愛を対等なものとして扱う社会へとつながってゆく。ひとりひとりの「カミングアウト」が、セクシュアリティへの意識を呼びおこしてゆくはずで、本作においても千波と彩世は近くにゲイであることを公表する光がいることで、みずからの経験を異性愛者として相対的にとらえられているのかもしれない。
光は第2話の最後で、これからさき苦しいことがあるかもしれないが「クローゼット」の陸と一緒にいる覚悟を決める。ひとの数だけ「カミングアウト」があり、正しい「カミングアウト」は存在しないし、「カミングアウト」をしないこともまたひとつの生存戦略である。『失恋カルタ』は窓によって隔てられた2人を映しすことによって、クローゼットの内外で同じ空間を共有できない同性カップルを描いた。その象徴的な場面は美しくも切ないものである。
続く第3話では大学時代にさかのぼり、千波と彩世への「カミングアウト」の場面が描かれた。また、陸が光との関係を周囲に明かさないだけでなく、陸自身のことも光になかなか伝えないことも映し出される。話すことと話さないことの境目をどこに引くのかという価値観のずれが、本ドラマのキモとなりそうだ。
■放送情報
ドラマイズム『失恋カルタ』
MBSにて、毎週火曜24:59~放送
TBSにて、毎週火曜25:26~放送
TVerでTBS放送後見逃し配信
出演:梅澤美波、西垣匠、加藤小夏、若林時英、伊藤絃、荒井啓志、桜木雅哉(原因は自分にある。)、阿部顕嵐、深水元基
原案:『失恋カルタ』句・又吉直樹/絵・たなかみさき
監督:井樫彩、富田未来
脚本:開真理、牧五百音
プロデューサー:米田理恵、尹楊会、村山えりか
OP主題歌:Jonah「長方形の私」(Scrum Wave Music)
ED主題歌:ZIPANG OPERA 「Rainy Heart」(LDH Records)
制作プロダクション: C&Iエンタテインメント
製作:「失恋カルタ」製作委員会・MBS
©「失恋カルタ」製作委員会・MBS
公式サイト:https://www.mbs.jp/shitsuren/
公式X(旧Twitter):@dramaism_mbs
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