『パリエト』谷口悟朗×吉田玲子初タッグの意義とは? アニメ史的瞬間を全力で鑑賞

『パリエト』谷口悟朗×吉田玲子タッグの意義

 リアルサウンド映画部の編集スタッフが週替りでお届けする「週末映画館でこれ観よう!」。毎週末にオススメ映画・特集上映をご紹介。今週は、小学生時代にうっかり『コードギアス 反逆のルルーシュ』を観てしまったことでその後の人格形成が破綻した徳田が、『パリに咲くエトワール』をプッシュします。

『パリに咲くエトワール』

 谷口悟朗監督の最新劇場アニメ『パリに咲くエトワール』には錚々たるクリエイター陣が参加している。特に脚本の吉田玲子が谷口と初タッグとなるのは注目に値するだろう。

 谷口も吉田も、21世紀の国内アニメーションにおいて最重要クリエイターの一人であるといって過言ではない。近藤勝也のキャラクターデザインもあいまって予告時点から「大衆性」を強く帯びた本作を、二人はどう描いたのか。フジコと千鶴——20世紀初頭のパリを舞台に夢見る日本の少女という設定から、いかなるドラマが紡がれたのか。

 谷口といえば、2022年に『ONE PIECE FILM RED』(以下、『FILM RED』)の監督を務めたことが記憶に新しい。同時に、アニメファンであれば知っての通り、やはりゼロ年代に彼が手掛けた作品群の功績があまりにも大きい。

 まず、21世紀におけるロボットアニメのビジュアルイメージのある部分は『機動戦士ガンダムSEED』(2002年)のキャラクターデザイン・平井久司が作り上げたといっていい(※1)。その3年前、同じく平井が手がけた『無限のリヴァイアス』で谷口はTVアニメシリーズの監督デビューを果たしている。

 『無限のリヴァイアス』の偉業をここで語り切ることは不可能だが、雑にまとめれば同作は「ロボットアニメ」における過激表現の許容度の広さを手段として読み替え、他ジャンルの要素を取り込む拡張性の契機を生み出した(※2)。それは次作の『スクライド』における異能力バトル要素や、『コードギアス 反逆のルルーシュ』(以下、『コードギアス』)の学園ドラマ要素などに引き継がれる(※3)。そして『コードギアス』は、『魔法少女まどか☆マギカ』(2011年)が現れるまではゼロ年代のオリジナルアニメ最大のヒット作として君臨していた。

 一方、吉田の代表作には『リズと青い鳥』をはじめとして、『けいおん!』『たまこまーけっと』『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』『きみの色』などがある。いずれもティーンズ世代の少女を中心とした人間関係を精緻に描いており、特に『リズと青い鳥』は、メインキャラクターに二人の少女が据えられているという点をみれば『パリに咲くエトワール』と共通するところがあるかもしれない。

 しかし、『リズと青い鳥』『たまこまーけっと』のような作品を谷口の『コードギアス』『FILM RED』などと比べると、二人のパブリックイメージから想定されるであろう物語のスケール感の違いは明らかだ。この二人の個性は、『パリに咲くエトワール』においてどのように融合(あるいは拮抗)するのだろうか。

谷口悟朗作品のリズム

 谷口作品を振り返ってみると、「大状況の端的な提示の仕方」にその美点の一つがあるように思われる。『FILM RED』冒頭で示された、略奪者としての海賊の姿。『コードギアス』第1話からOP映像に至る展開(それぞれ谷口自身が絵コンテも担当している)での、“敗戦国”日本の戦況とルルーシュのパーソナリティ。

 具体的には『FILM RED』冒頭では、『ONE PIECE』本編とは裏腹に海賊たちの負の側面が強調される。「富・名声・力」。慣れ親しんだあのナレーションパートのリズムを逆手に取り、同じようなテンポと小気味よいカット割りで海賊たちの簒奪による「被害者」のほうにスポットが当てられていく。

 『コードギアス』冒頭では、戦地の断片的なカット、ニュース映像のような戦況図、ポエティックでありながら必要最低限のナレーション——あらゆる抽象度の情報がポリリズミックに進行していき、複雑な初期設定をストレスなく伝えていく。「エリア11」。ナレーションと映像のリズムが合流した末に告げられた、日本国の新たな「国名」はそれゆえに視聴者の記憶に強く刻まれる。

 これらが谷口特有の「手法」というわけではないが、こうした彼の映像的リズム感覚を踏まえると『パリに咲くエトワール』からも興味深い点が見出せる。時折、不意打ち的に差し込まれる戦況のダイジェストシークエンスは、フジコと千鶴が確かにあの時代に生活していたことを思い出させる。

 中盤、千鶴は師であるオルガにバレエの成果を褒められて嬉し涙を流す。フジコとともにその喜びを分かち合う。銃を携えたフランス軍が行進する。唐突にも思えるこのカット割りは、しかし当時の日常が戦争と地続きだったことを示唆するかもしれない。

 この直後、フジコを捉えたあるカットが反復されるのは重要である。序盤でパリに旅立ったフジコは、パサージュの中を意気揚々と駆けていき、叔父の若林が待つ画廊へと向かう。フジコがパリに渡った理由や西洋画に抱く熱意が語られ、彼女の夢の進展が感じられる。

 同様にフジコがパサージュを駆けていく場面がほぼ同じ構図で繰り返されるのだが、そこで待ち受けるのは画廊の差し押さえだった。戦争の存在をほのめかすカットの直後に描かれたこの場面は、夢の進展よりもむしろ、何か避けがたい障壁が社会のほうからやってくることを感じさせる。

 ただ、そうした印象付けがありながらも本作では「大人の社会状況に阻まれる少女の自己実現」といった構図はさほど強調されない。主眼はあくまでもフジコと千鶴の個人的な関係にとどまりつづけており、これは吉田脚本の美点であるように思われる。『FILM RED』『コードギアス』でのダイジェスト的=超越的視点で語られた世界の大状況に、主人公たち個人が接近していくダイナミズムとは対照的だ。

 上述したような戦争、他にも人種差別といった社会問題がほのめかされはするものの、それらの「是正」や「克服」を志向する展開はあまり前面に現れない。代わりに徹頭徹尾フジコと千鶴の内面と人間関係に焦点が当てられ、外部の「仮想敵」を持ち出すことには慎重に距離を取っている。象徴的なのは、千鶴が体現している「薙刀」と「バレエ」という対照的なモチーフが平等に扱われていることだろう。

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