野木亜紀子の異色作となった『ちょっとだけエスパー』 生きることは世界を愛すること

『ちょっとだけエスパー』が異色作の理由

 野木亜紀子脚本『ちょっとだけエスパー』(テレビ朝日系)が12月16日に最終話を迎えた。大泉洋演じる“ちょっとだけエスパー”になった文太と仲間たちが「ちょっとだけ世界を救う」愉快な「SF・ヒーローもの」かと思いきや、とんでもないところに連れていかれた。

 本作の主人公は、「世界から切り離されてしまった人たち」だ。野木亜紀子脚本作品ではこれまでも、例えば『アンナチュラル』(TBS系)や、『MIU404』(TBS系)を通して、組織にとって都合が悪いから「見て見ぬふりをされている/存在しないことにされている人々」の人生を何度も描いてきた。そんな中で本作は、これまで主人公たちが掬い上げる存在だった「社会の枠組みの外側に追いやられてしまった人たち」を主人公に置いた。野木亜紀子脚本作品群の中でも極めて異色の作品だったと言える。

 第1話で文太が初めて人々の「心の声」を聞いた時、道行く人々の心の中の何気ない呟きの面白さに思わず楽しくなった後、人々が抱える悲痛な思いにも触れて、しばらく落ち込んでしまったように、物事にはすべて表と裏がある。

 文太たち「bit5(ちょっとだけの5人)」が持つそれぞれのエスパーは、花を咲かせたり、飲み物をほんのり温かくしたり、動物にお願いを聞いてもらったり、一息で何かを吹っ飛ばしたりといった、どれもかわいらしいものだったが、そのエスパーを持つに至る背景には、それぞれの過酷で切ない過去があった。また、本来「人助け」の能力のはずだったエスパーは、時に人を傷つける凶器になり、副作用のせいで、彼ら自身を危険に晒すものにもなった。第5話における「bit5(文太たち)VS young3(市松/北村匠海たち)」の対峙は、どちらがヒーローでどちらがヴィランかは、それこそ最終話の文太の言葉のように「誰視点のどこ視点」か次第なのだということを伝えていた。

 さらには終盤において、本作は視聴者が前提としていたはずの設定を覆すのである。本作は、それぞれにつらい過去を抱えた文太たちが、優しい社長・兆(岡田将生)に救われ、第二・第三の人生を送るという生易しい話ではなかった。愛する人・四季(宮﨑あおい)を事故で失い、「四季を奪った世界」を憎んだ男・兆が、2025年のうちに死んでいたはずだった人たち(「いてもいなくても変わらない。いなくなっても誰も気にしない。この世界になんの影響も及ぼさない」「いらない人間」だと判断した人たち)を使って、世界を無理やり動かそうとする話だったことが明らかになる。そして本作は視聴者にこう、突きつけるのだ。「世界」があなたを拒絶したとしても、果たしてあなたは「世界」を愛せるかと。

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