『じゃあ、あんたが作ってみろよ』勝男に永遠のリスペクト! 鮎美に抱いた“違和感”も

『あんたが』鮎美の物語に覚えた“違和感”

 火曜ドラマ『じゃあ、あんたが作ってみろよ』(TBS系)が、最終回で同ドラマ最高視聴率を更新、世帯平均8.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)という結果で幕を閉じた。間違いなく、10月期の覇権ドラマの一つだったと言っても過言ではない。

 「でも、強いていうなら、全体的におかずが茶色すぎるかな」「ああ、でも謝らないで、これは鮎美がもっと上を目指せるって意味での、アドバイス」と、眼球がひっくり返りそうになるくらいの発言が主人公・勝男(竹内涼真)の口から何の悪気もなく飛び出ていた、インパクト大の第1話。そんな彼が「無理」と言われてフラれる、そこから始まった本作はフックも強く、毎週本当によくできた脚本とキャラクター設計に感心させられ、笑ったり泣いたり、切ない気持ちになったりした。

 しかし、最終話の放送を振り返ると少し“違和感”が残ったことも確かだ。厳密にいうと、この違和感は最終話で生まれたものではなく、第8話――勝男の元に彼の母・陽子(池津祥子)が訪ねてきた頃合いから感じ始めたものだった。

 ジェンダーロールを軸とした固定観念に物申す本作において、陽子は多くの役割を担っていた。生粋の九州男児の夫・勝(菅原大吉)に不満を抱えながらも、諦め、言うことを聞き、無言で出された茶碗におかわりをよそうことが自分の役割だといつからか当たり前のように思うようになっていた。そして、勝男の婚約者だと信じていた鮎美(夏帆)には、“自分がお嫁さんになる時に求められたこと”を同じように悪気なく求めてしまう。

 ジェンダーロールを押し付けられた女性が下の世代(義娘など)に、それを押し付け、さらに、その義娘が母親の立場になったら同じように娘や義娘に「私の若い時はそうだった」と呪いのバトンを受け取らせ、勝男や勝男の兄・鷹広(塚本高史)のようにそれを見ていた息子にとっては“それ”が当たり前になる。本作にかなり根深いこのイシューを体現し、背負ったのが陽子というキャラクターだった。

 しかし、1人の登場人物に背負わせすぎたのかもしれない。それによって陽子のセリフの多くが、物語における重要な気づきや教訓、メッセージを伝える役割を担わされている印象が先行してしまったからだ。特にそれまでのエピソードで、勝男や彼の会社の後輩などキャラクターが生き生きとして自分自身で動き回っているような作品だったこと、いわゆるハッと気付かされるようなセリフも、例えば第5話で空港に向かう車内、部下の白崎(前原瑞樹)の彼女がサラッと自分の体験を踏まえながら「いろんな人の立場を知る努力をしたり、想像したりしたい」と言うなど、とにかく自然で押し付けがましくもなかった。しかし、ドラマ後半は「キャラクター同士の自然な会話の中で生まれた気づきの言葉」と言うより、それを言わされる装置としてキャラクターが動かされている印象があったことは否めない。

 そして、勝男の周囲より鮎美の周囲の登場人物がそういった都合の良い存在としてドラマ後半に機能していることが目立ったのも、最終話にかけて感じた“彼女側の物語”における違和感に繋がっているのかもしれない。

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