『映画ドラえもん』が『海底鬼岩城』をリメイクした意義 “心”の在り方を捉える一作に

『海底鬼岩城』を2026年にリメイクした意義

 2025年に公開された『映画ドラえもん のび太の絵世界物語』が、声優交代後のここ20年で最も抜きん出た完成度だっただけに、必然的に“次の作品”への期待値が上がったことはいうまでもない。しかもそれが、旧声優時代のなかでも名作と呼ぶに相応しい『海底鬼岩城』のリメイクときた。リメイク作品は『恐竜』『魔界大冒険』『宇宙開拓史』『鉄人兵団』『大魔境』『日本誕生』『宇宙小戦争』につづいて8作目。いよいよ“80年代ドラ”の再構築の完了も近付きつつあるようだ。

 もちろん各々に特別な思い出と共に特別な『映画ドラえもん』があるわけだが、そのなかでも『海底鬼岩城』がなぜ名作であるのか? 理由の一つは、やはり現実とフィクションのバランス感であろう。『恐竜』はタイムマシンを用いて太古の恐竜の時代へ、『宇宙開拓史』では畳の下から超空間で連結した宇宙へと、限りなくSF(ここでは“少し不思議”というより明確に“サイエンスフィクション”)の世界に根ざしていた。また、『大魔境』の場合はアフリカの奥地という現実に根差した舞台設定であるが、そこにあるのは“動物の国”という振り切ったファンタジー世界であった。

 その一方で『海底鬼岩城』は、すぐ近くにある海という限りなく現実的な舞台設定に、“その中に入る(しかも地上と同じように自由に息ができる)”という一種のファンタジーを介入させ、海底人の存在とバーミューダトライアングルという、現実とフィクションの境目をいくオカルトのアプローチが加わえられている。いわば、遠すぎず近すぎず。それでいて、充分にありえそうな設定が活かされた大冒険が繰り広げられるという点で、目新しいときめきを生み出しているのである。

 そしてもう一つは、『ドラえもん』の根幹に関わる非常に大きなテーマに最初に触れた大長編作品であったという点だ。それはすなわち、「機械は心を持つのか?」という問いかけである。原作、ならびに旧映画版においては、少々ぶっきらぼうで機械的(かつ、やや好戦的)なひみつ道具の水中バギーが、唯一優しく接してくれるしずかに好意を抱き、彼女の涙をきっかけにポセイドンという強敵相手に決死の戦いを見せる。そこにはっきりと「心」の存在を語らずとも、訊かれたことだけに答え、人間の指示に従っていただけのバギーが、自らの意志を持って守りたい人を守る。そこにこの上ないドラマ性が見出されたのである。

 いわずもがな、機械と心の関係性というものは、ドラえもんというキャラクター自体にも深く根差しているものだ。それでも、ドラえもんが機械であっても人間同等の心を有していることにいまさら何の疑いの余地もない。加えて、『鉄人兵団』におけるリルルであったり、作品全体を通してこのテーマと向き合った『ロボット王国』という傑作もある。ドラえもんという存在で“当たり前”になってしまっている問いかけを、あらためて問い直す。この作業は定期的に必要不可欠であり、とりわけ人工知能が急速に発展した現代は、『鉄人兵団』のリメイクが作られた15年前よりも絶好のタイミングといえよう。

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