『ぼくたちん家』は“ボーイズラブ”ではない 普遍的に描かれる生きづらい社会のリアリティ

『ぼくたちん家』は“ボーイズラブ”ではない

 ドラマ『ぼくたちん家』(日本テレビ系)は、この不自由な世界でひっそりと“生きづらさ”を感じながらも、現代社会に対して“前向き”に抗おうとしている人々の不器用なつながりをなんとも魅力的に描いている。

 玄一(及川光博)も索(手越祐也)もほたる(白鳥玉季)も、まったく異なる時代と境遇で育った人物だ。しかし、彼らが理不尽な出来事に晒されながら、それぞれ孤独に抱えていた“生きづらさ”は共通している。

 主人公の玄一は、ゲイという性的指向だけを抽出して話題にしようとした人物のせいで、ずっと志していたミュージシャンの夢を手放さざるを得なかった。同じくゲイの索は同棲していた恋人・吉田(井之脇海)との叶わない結婚とゴールのない人生に絶望し、中学3年生のほたるは会社で大金を横領した母親・ともえ(麻生久美子)が居なくなった家で、将来の夢も自分の好きなものを見つけられないまま過ごしていた。

 そんなふうに、社会に対して静かに諦めを抱いていた3人が、思いもよらないきっかけから同じ古びたアパートで暮らすことになる。このドラマが「ボーイズラブ」ではなく、はっきりとしたカタチのない「ホーム&ラブコメディー」である由縁だ。

 登場人物の相関図を見ると、幅広い世代の老若男女がこの世界で生きているのがわかる。いつもアパートで暮らす玄一やほたるを優しく、ときにおもしろがって世話を焼く大家・井の頭(坂井真紀)、社会に舐められたくなくてマンションを購入しようと奮闘する百瀬(渋谷凪咲)、うまく父親ができずに離婚を繰り返してしまった仁(光石研)。年齢も性別も関係ない。社会に思うところがありながらも懸命に生きている人々を、誰ひとり取りこぼすことなく包み込んで、それぞれの思い悩みに体温を通わせる。

 第6話でお互いに両思いであることを確かめ合った玄一と索。年齢差や恋愛観の違いも乗り越えて2人が結ばれる姿は、視聴者が待ち望んでいた理想の瞬間だった。それでも、玄一と索の関係がファンタジーだと思えないのは、性的マイノリティの人々が生きている世界を空想の物語として扱わずに、現実的な妥協点や地道な手続きを省かずにありのままに描いているからだ。

 第1話の冒頭、ゲイのパートナー相談所での玄一と百瀬のやりとりからは、同性愛者が気軽に恋人を作ることの難しさを突きつける。ほかにも不動産屋の岡部(田中直樹)が家を探す索にLGBTQフレンドリーな物件(LGBTQであることを理由に、入居の相談や入居事態を断らない物件)を紹介していたり、性的マイノリティのカップルが抱く生活上の不便を解消するためのパートナーシップ制度を鯉登(大谷亮平)が玄一たちに説明していたり。本作にインクルーシブプロデューサーとして参加している白川大介は、2018年にゲイであることをカミングアウトした当事者でもある。彼にしか担当できない役割が、ドラマの細部にまでリアリティをもたらしていることは間違いないだろう。

 第7話では、玄一と索がパートナーシップ制度を申し込むまでの過程が、区役所の担当者との会話だけに留まらず、不安や期待が入り混じる当事者の声とともに描かれる。ゲイとして生きてきた2人を取りまく環境や、実際に存在する公共制度をわかりやすく解説することで、同じ家に住んで現実的に幸せになろうとする、彼らが望むたったそれだけの願いが、今の社会ではいかに難儀なことかを視聴者は理解していく。

関連記事

リアルサウンド厳選記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「コラム」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる