『ぼくたちん家』河野英裕Pロングインタビュー ゲイの中年男性を主人公に据えた理由とは

ドラマ『ぼくたちん家』(日本テレビ系)は、心優しきゲイの玄一(及川光博)が、クールな中学教師・索(手越祐也)に恋をするところから始まった。久しぶりの恋にあたふたする彼の前に現れたのは、ワケありな中学3年生・ほたる(白鳥玉季)。3000万円もの大金を引っ提げ、玄一に“ニセの親子契約”を持ちかけてきたのだ。ちょっと奇妙なホームラブコメディを仕掛けるのは、『すいか』(日本テレビ系)や『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系/以下、『野ブタ。』)など数々の名作を手がけた河野英裕プロデューサー。ゲイの中年男性を主人公に据えた理由は、かつて同性愛者が“笑い”の対象にされていた時代を生きた人たちを、ドラマで可視化したいという思いがある。さらに、新人脚本家の大抜擢やインクルーシブプロデューサーの導入、配信コンテンツに負けないテレビドラマの粘り方など、多くのドラマ好きが注目する河野プロデューサーに、テレビドラマの“いま”を聞いた。
自分のスピード感が「正しい」とは思えない
——『ぼくたちん家』の放送前、河野さんがX(旧Twitter)で「いつも以上に不安」と呟かれていたのを見ました。テレビドラマから一度離れ、数年ぶりにドラマの現場に戻ってきた際に特に意識したのは、“リズム感”だったとも書かれていましたが、河野さんが感じる“いまのドラマのリズム感”は、どのようなものでしょうか。
河野英裕(以下、河野):リズム感やテンポ感って、本来は描きたい物語のテーマや、作り手の好みで決めていいものだと思うんです。ただ、やっぱりここ数年は異常なスピードで状況が変わってきている気がしていて。テレビドラマは映画と違って、集中して観てもらえる場があるわけではない。部屋のテレビでなんとなく観るかベッドで寝転びながらスマホで観るか、通勤中の電車の中で観るかみたいな視聴方法だと思います。その手軽さが、ドラマの良いところでもあり悪いところでもあるんですけど、これだけ作品が大量に作られている中で、とにかく観てもらわないと意味がない。だからこそ、少しでも選んでもらえるように、観る人を飽きさせない“リズム感”や“テンポ感”を意識しなきゃいけないなとは感じています。

——テレビドラマだけでも、毎クール40本以上の作品が放送されていますからね。
河野:若い世代の情報処理に対するスピード感がすごすぎて、57歳になった自分のスピード感が「正しい」とはまったく思えないんですよね。もちろん、ただリズムが早ければいいという話ではないですが、自分の感性がいまいち信じられないので、せめてリズム感だけでも合わせないと、選ばれさえしないんじゃないかという恐怖感はあります。特に僕がやっているような作品は、そんなに人が死ぬわけでもないし考察系でもない。日常を丁寧に奥深く描きたいという思いで作ってはいますが、言ってしまえば、単なる日常の物語にすぎない。せめてリズムくらいは、世の中に合わせなきゃと思うんですよね。正解なのかはわからないけど、毎度そこを探っている感じです。
——2023年の『だが、情熱はある』(日本テレビ系)から今回の『ぼくたちん家』の間で、さらにそのスピードは加速していると感じますか?
河野:『だが、情熱はある』で4年半ぶりぐらいにドラマに戻ったんですが、その前は何本か映画を撮っていて、最後が『メタモルフォーゼの縁側』でした。こぢんまりとしたスローテンポな映画で、僕は大好きで大事な作品ですけど、ドラマに戻ったら、ああゆう作品を作ることはゆるされないだろうなと。当然そういうことも意識しないと企画も通らないだろうなと考えていた際に、『ZIP!』(日本テレビ系)で毎朝放送される5分の連ドラを頼まれたんです。もしNHKで朝ドラを作れる機会があったら、そりゃやってみたいよ〜って永遠に思っていたので(笑)、すごく興味が湧きました。
——錦鯉のおふたりの半生を描いた『泳げ!ニシキゴイ』ですね。
河野:そもそも朝のテンポってすごいじゃないですか。みんな秒単位で生きていて、『ZIP!』の番組スタッフもその感覚で仕事をしている。そういうテンポ感の5分のドラマを毎日作れたのは、すごく楽しかった。『だが、情熱はある』のときは、その作り方をもっと極められるんじゃないかと思って、かつてないくらい台本のページ数を増やして、いかに46分の枠に収めるかを試行錯誤しました。むしろ『だが、情熱はある』が特別かもしれないですね。今回の『ぼくたちん家』も、通常より台本が4、5ページほど長くて、記録さんからも「絶対に入らないです」と言われるんですけど、この尺を入れるためのテンポ感で撮って、編集して、放送することを重視してて。そういう一連の流れを、『だが、情熱はある』からずっと実験している感じですね。
主人公がゲイ男性のオリジナルストーリーを描く理由

——『泳げ!ニシキゴイ』『だが、情熱はある』から一転、今回はモデルのいない完全なオリジナルストーリーになりました。どのような経緯で始まったのでしょうか。
河野:まずは「オリジナルをやろう」ということですね。本当に真面目な話、『セクシー田中さん』(日本テレビ系)の悲しい出来事があって、自分もすごく落ち込んだし、日本テレビでずっとドラマを作ってきたものとして責任を感じて。ドラマの作り方はもちろん、そもそもテレビドラマの存在意義というか、大げさかもしれないけれど根本からやりなおさなきゃと思ったんです。『泳げ!ニシキゴイ』も『だが、情熱はある』もほぼオリジナルみたいなものですが、根っこからのオリジナルストーリーを、もう一度作らなければならないと強く思ったんです。もう一つは、退職が近づいてきた中で、“これまで日本テレビのドラマが描いてこなかったこと”をきちんとやる必要があると感じたこと。おじさんプロデューサーの役目として、新人脚本家とチーフデビューの演出家、若いスタッフにチャンスを与えて、一緒に作品をつくりたいという思いもありました。
——おっしゃる通り、刑事や医療関係者、サラリーマンではない中年男性を主人公にした物語は、昨今のドラマの中ではとても新鮮に感じます。河野さんの作品にはいつも、生きることに不器用な若者たちを見守る“大人”の存在がありますよね。その“大人”側であるはずの主人公が、人生にあたふたしている『ぼくたちん家』は、河野さんの作品の中でも少し珍しいと感じました。
河野:たしかにそうかもしれないですね。理由として思い浮かぶのは、僕はSTARTO ENTERTAINMENTの方々とご一緒する機会が多かったんです。自分が子供の頃からテレビドラマには歌手やアイドルの方たちがたくさん出ていて、「わーっ!」て気持ちで見てました。アイドルで歌って踊ってバラエティもやって、そして演じる。魅力的で多彩。でもどこか若さ故の不安定さ。そんな感じに惹かれるんです。本業がアイドルの彼らを中心に、まだ危うさの残るアンバランスな若者の青春物語を描くことが、自分がやりたいエンターテインメントに合っていたんだと思います。なので大人の物語をやる機会があまりなかった。一方で『ぼくたちん家』の主人公を中年男性にしたのは、僕自身が年を重ねたこともありますが、企画重視で考えた結果です。
——先ほどの“日本テレビのドラマで描いてこなかったこと”ですね。
河野:ゲイ男性の物語をするならば、幼い頃から社会的差別や困難を受けて生きてきた人の“いま”という形にしたかったんです。いろんなことを経験してきたキャラクターとなると、主人公はせめて40代、もしくは50代になるだろうなと。年齢のバランスをちょっと離したかったので、最終的に50歳と38歳のふたりになりました。
——年齢差をつけたかった理由は?
河野:主人公が中年なので、相手はそこまで人生経験を積んでいない若い人のほうが、会話が弾むと思ったからです。あともう一つ、『ぼくたちん家』はゲイ男性の物語ですが、僕の中では女性たちの物語でもあって。さまざまな女性の考えや生き方を表出させたかったので、女性も男性もあらゆる世代でキャラクターを組んでいます。
『ぼくたちん家』はゲイ男性と女性たちの物語

——まさにその話もお聞きしたかったんです。河野さんの作品を追いかけてきたファンの中には、『ぼくたちん家』に『すいか』を重ねた人も多いと思います。まさに私がそうなんですが(笑)、玄一がやってきた井の頭アパートを見たとき、「令和のハピネス三茶だ!」と驚きました。第2話では、ほたるの母・ともえ(麻生久美子)が3000万円を横領して逃走中だと明かされますし、よくよく考えてみれば、毎回ほたるが母親に残す電話のモノローグも、海外在住の父親に毎度メールで報告していたゆか(市川実日子)を思い出します。
河野:『すいか』はもう本当に、木皿泉という天才がいたからこそ成り立った作品で。当時ペーペーだった僕は、あの作品でたくさんのことを教えてもらいました。あれから23年くらいが経ち、日本テレビであと何本作れるだろうか……と考えたとき、自分がやるべきことは「新しい人にチャンスをあげること」と「自分がこれまでやってきたものを与えること」なんだろうなと。同じ穴を掘ってるだけじゃん、セルフリメイクじゃんと言われても構わないから、使えるものは全部使って、脚本家さんや演出さんに全部あげようと思ったんです。こういう作り方もやり方も、こういう世界の描き方もあるんだよって。ただ『すいか』をそのままやってもしょうがないし、そもそもできないので、『ぼくたちん家』にどう落とし込んでいくかは、すごく考えながら作りました。ちなみに『すいか』ともう一つ、NHKでやった『奇跡の人』も、舞台がコの字型のアパートなんですね。その2作の映像や資料を共有しながら、スタッフにこうやって作るんだよ〜と教えていたので、そこに寄っていくことは間違いないです(笑)。
『すいか』『野ブタ。』育ちの新人脚本家との出会い

——河野さんがバトンを託す“次世代”の作り手さんについてもお伺いします。2025年秋クールは、各局で新人脚本家の起用が相次いでいます。『ぼくたちん家』の脚本を担当する松本優紀さんも、2023年の日テレシナリオライターコンテストで審査員特別賞を受賞した新鋭です。デビュー作がいきなりプライム帯のオリジナル作品という異例の抜擢は、どのように決まったのでしょうか。
河野:そのコンテストは第1回目で、僕を含めて審査員が5人ほどいました。1000通以上の応募の中から選ばれた200〜300本を審査員が読み進めていく流れだったんですが、その中で「この人の書くセリフはすごい」と本気で思ったのが、松本さんです。正直に言うと、大賞に選ばれるような作品ではなかった。ストーリーは荒いし構成も甘いけど、このセリフが書けるんだったら伸びるんじゃないか。日本テレビのためにも絶対に残したほうがいいと思って、それぞれの審査員が一人ずつ、気になる人に特別賞を贈ることになった際、僕は松本さんを選びました。
——つまり、松本さんが受賞した審査員特別賞の“審査員”は河野さんのことなのですか!?
河野:そうです(笑)。日テレのシナリオコンクールには面談もあって、彼女のプロフィールの好きなドラマの欄に『すいか』『野ブタ。』があったときは、「やっぱりそうなんだ!」と思いました。あのセリフが書けて、僕もそのセリフに心惹かれているとうことは、彼女の好きなものや目指しているものが『すいか』や『野ブタ。』にあるんだなとリンクしたんですよね。これはもうなんとしても、日テレに残さねばと思いました。同時期に僕もダメ元で企画書を出していたら、面白いから脚本の開発を進めてみたらと言ってくれた人がいて。それならぜひ松本さんと一緒に、とお願いしました。
——こんなことをご本人にお伝えしていいかわからないですが、まさに松本さんは“成功したオタク”ですね?
河野:彼女に賞状を渡したときは「もう台本はボロボロだけど」って言っちゃったんですけどね(笑)。ただ、セリフが本当に素晴らしいから頑張って、と伝えた記憶はあって。これから絶対に活躍する人なので、そのまま突き進んでほしいですね。今回シナリオブックも出ますし。
——河野さんをそこまで惹きつけた、松本さんのセリフの魅力はどんなところにあるのでしょうか。
河野:僕の持論ですが、セリフは練習して身につくものでもないと思うんですね。ストーリーは、正直こねくり回せばなんとか形になるんですが、自分だけの言葉というのはなかなか見つけられない。特にペーソスのようなクスッと笑えるニュアンスは、本当に難しいんですよ。そうした言い回しやワードのチョイスが、松本さんは自然にできる。独特な笑いのセンスが好きなんですよね。
——脚本作りはどのように進めていらっしゃるんでしょうか。プロットは河野さん、セリフは松本さんというような分担で?
河野:基本的には二人でやってます。僕中心でプロットを話して、それをもとに松本さんが簡単なあらすじを作って、セリフを書いていく。セリフに関しては最初から信頼していたので、ストーリーラインさえ一緒に決めれば大丈夫だろうと思っていました。最初の4〜5話くらいまではなかなか大変だったけど、成長が早かったですね。孫の成長を見守るおじいちゃんの気持ちです。
——まるで師匠と弟子のような関係性ですね。
河野:僕と組むのは最初で最後になると思いますが、次も日テレの良いプロデューサーと出会ってほしいです。いずれは他局も含めていろんな場所で活躍して、立派な作家になってくれたらいいなと思います。で、万が一僕がまだドラマの現場に生き残っていられたら一緒にドラマを作ってほしいです(笑)。
ゲイ当事者が担う“インクルーシブプロデューサー”

——インクルーシブプロデューサーの白川大介さんについてもお聞きします。LGBTQのキャラクターを描く際、一般的なドラマや映画では、有識者や専門家が“LGBT監修”として関わることが多いですが、白川さんはより深く制作に関わっているということでしょうか。
河野:白川くんは日本テレビ報道局の社員で、ゲイであることをカミングアウトして以降、性的マイノリティーへの理解を広げるための活動をしています。ドラマに限らず、日本テレビでLGBTQ関連の番組をする際は、彼に相談することがひとつの流れになっているんです。今回も企画が立ち上がった段階で声をかけて、「具体的になったらよろしくね」「ぜひぜひ」みたいな、ゆるいやり取りから始まったんです。
——そもそも“インクルーシブプロデューサー”とは、どんなことをされているのでしょうか。
河野:まずは彼に取材をしました。実際にゲイの人が家を買おうと思ったら、どんな手続きが必要なのか。このキャラクター設定で恋愛関係になることはあり得るのか等、細かくヒアリングさせてもらいました。次は台本のチェックですね。「当事者にとってはすごく傷つく表現だから、もう少し和らげた方がいい」「このまま進めたいならエクスキューズが必要」「このエピソードは間違っているから、さすがにやめたほうがいい」など、率直な意見をもらっています。そして、これをやりたかったから主人公を中年にしたのもあるんですけど、日本のドラマではあまり描かれていませんが、50歳前後の世代って、“保毛尾田保毛男”のようなキャラクターが普通にテレビに出ていたんですよね。つまり、同性愛者が“笑いの対象”にされていた時代を生きてきたんです。おそらく今以上に、自分のアイデンティティを隠すことが大変だったと思います。たとえば、玄一のような世代が使っていた『広辞苑』には、「同性愛」の欄に「異常性欲」と書かれていた。そういうエピソードは第5話と第6話で扱われますが、そうした時代を生きてきた人たちが確かに存在していることを、ちゃんと描きたかった。




















