『雲のむこう、約束の場所』観ずして新海誠は語れない “国民作家”以前の魅力が凝縮

1990年代からゼロ年代にかけて流行した、「セカイ系」というジャンルがある。乱暴に説明してしまうと、「少年少女の淡い恋愛などのミクロな世界のお話が、突然世界の滅亡などのマクロなお話に繋がっていく」という作品群だ。テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年~1996年)に端を発したこれらのムーブメントは、当時の若者に強く支持された。新海誠の劇場用映画デビュー作である『ほしのこえ』(2002年)、そして今回取り上げる『雲のむこう、約束の場所』(2004年/以下、『雲のむこう』)も、このセカイ系というジャンルを象徴する作品だ。
この物語は、戦争により南北を分断された、もうひとつの日本が舞台となる。北海道は「エゾ」と名を変え、世界の半分を占める共産国家群「ユニオン」の支配下となっている。エゾには恐ろしく巨大な純白の塔が建立されているが、ユニオンの意図は不明である。青森県の中学3年生、藤沢浩紀と白川拓也は、ひそかに製作中の飛行機「ヴェラシーラ」に乗って、塔まで飛んでいく計画を立てている。そして、2人が想いを寄せているクラスメイトの沢渡佐由里も共犯者的に同乗することとなり、3人は仲を深めていく。だが佐由里は、ヴェラシーラの完成を待たずして、2人の前から突然姿を消す。原因不明の睡眠障害を起こした佐由里は3年間眠り続け、研究材料として軍の病院に隔離されていたのだ。実は佐由里の脳波とユニオンの塔には、密接な関係があった……。
新海誠作品は、『君の名は。』(2016年)を境にして、「ネガティブ期」と「ポジティブ期」に二分することができる。ネガティブ期の代表作としては、『ほしのこえ』や、実写版が大ヒット中の『秒速5センチメートル』(2007年)の名がよく挙げられる。残念ながら本作は、これらの作品の陰に隠れがちだ。だが一見地味な本作こそ、のちの新海誠を語る上で、重要な作品でもあるのだ。
先ほどのあらすじを読めば、未見の方でも「本作はヒロインの救出劇だな」との予想が立つとは思う。確かにその通りだ。だがこの物語は、よくある凡百の救出劇ではない。ネタバレとなるため詳細は書かないが、ヒロインを救うことが、世界の滅亡に繋がるかもしれない。それでも主人公は、ヒロインの救出に向かう……。
つまり本作は、のちのポジティブ期の代表作のひとつ、『天気の子』(2019年)の雛形でもあるのだ。『天気の子』においても、陽菜ひとりが人柱として犠牲になることで、異常気象は収まり、世界は救われるはずだった。だが帆高は、陽菜を救出してしまう。世界を犠牲にしてでも、好きな女性を救うことを優先する。結果、2年半もの間1度も止むことのない豪雨が降り続き、東京は徐々に水没していくこととなる。そして再会したふたりは涙ながらに抱き合い、「陽菜さん、僕たちはきっと大丈夫だ!」と帆高が宣言して感動のエンディングとなる。いや、君たちは大丈夫でも世界は大丈夫ではない。少なくとも東京は、いずれ完全に水没する。
このエンディングには、賛否が分かれた。もちろん、帆高の行動は自己中の極みだ。だが、心の中では帆高の行動を支持してしまう方も、実は多いのではないだろうか。「あなたの愛する人ただひとりが犠牲になることで、世界中の人々が救われるのです。当然差し出しますよね?」と言われて、「はい喜んで」と言える人が、果たしてどれだけいるだろうか。




















