『侍タイムスリッパー』は何がすごかったのか 笑いと武士道精神を両立させた巧みな作劇

『侍タイムスリッパー』は何がすごかったのか

 2024年、1本の自主映画が社会現象を巻き起こす。当初1館のみだった上映館は、380館にまで上った。農家兼業の監督が、貯金のほとんどをはたき、愛車を売って捻り出した2600万円で撮影された本作の興行収入は、10億円を超えた。カナダ・モントリオールで開催されたファンタジア国際映画祭2024のコンペティション部門にノミネートされ、見事アジア映画観客賞金賞に選出。ちなみにその時の銀賞は、あの『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』(2024年)である。そして、2025年の第48回日本アカデミー賞最優秀作品賞にも輝いた。

 その作品『侍タイムスリッパー』が、7月18日の『金曜ロードショー』(日本テレビ系)において、地上波初放送される。これだけ胸を張って万人におすすめできる映画はなかなか無い。筆者も、「自主映画で2時間超えなんて、途中で寝てしまうのではないか」と思いながら観に行ったが、寝るどころではなかった。前半は、ただただ幸せな気持ちでスクリーンを眺めていた。安田淳一監督並びに全面協力をした東映京都撮影所の映画愛に溢れていた。そして、ある人物の登場から物語が大きく動き出す本編後半。思わず前のめりになり、ポップコーンをたくさんこぼした。そりゃあこれだけ面白いホンなら、天下の東映も協力するはずだ。安田監督がこの脚本を書き上げた時点で、本作の成功は半分決まったようなものだった。

 では、残り半分の成功要素はなにか。それはなんと言っても、主人公・高坂新左衛門役に山口馬木也を起用したことだ。昔から自主映画を観ては、「この作品、ちゃんと上手い役者が出てればもっと面白かったんだろうな……」と歯がゆい思いをすることが、ままあった。だからこそ、主人公の配役を妥協せず、超本格派の山口に依頼した安田監督を褒めたたえたい。受けた山口の男気にも、感謝する。

『侍タイムスリッパー』©2024 Samurai Time Slipper. All Rights Reserved

 こんなにも月代を剃った頭が似合う現代人は、なかなかいない。どこからどう見てもお武家さんである。それも偉いお武家さんではなく、会津なまりの朴訥とした、失礼な言い方をすれば田舎侍といった風情がピッタリだ。東北なまりの幕末の侍と言えば、『たそがれ清兵衛』(2002年)の井口清兵衛(真田広之)や『壬生義士伝』(2003年)の吉村貫一郎(中井貴一)を思い出す。彼らはみな、風采の上がらない田舎侍でありながら、実は凄腕の剣士であるという共通点がある。その点においては、高坂新左衛門も一緒だ。だが、前述の彼らは侍の時代に生き、侍としての人生を全うすることができた。新左衛門も、そのような人生を望んだことと思う。だがそれは叶わなかった。新左衛門は、現代の日本にタイムスリップしてしまったからだ。

 現代にタイムスリップしてきた、過去、もしくは未来の人間が、騒動を巻き起こす。古今東西、その種のコメディはごまんと観てきた。本作も、その手のジャンルのステレオタイプを見せてくるのだと思っていた。もちろん140年前からやってきた新左衛門にとって、現代の日本は初めて観るものばかりである。当然、新左衛門はその都度おどろく。特に、ビールやウイスキーなど未知の飲み物を飲む時の山口の細かい芝居が、いちいち面白い。だが本作は、カルチャーショックを受ける過去の人間をただ嘲笑するようなものではない。

『侍タイムスリッパー』©2024 未来映画社

 新左衛門が、初めてイチゴのショートケーキを食べるシーンがある。一口食べ、驚愕の表情とともにビブラスラップの効果音が鳴り響く。ビブラスラップとは、昔のコントや時代劇や演歌の効果音としてよく使われていた「カーーーー!」という音のするあれである。ビブラスラップの音を久しぶりに聞いたので、そこは思わず笑ってしまった。だがその後、新左衛門は静かに涙を流す。

「日の本は、良い国になったのですね。こんなに美味い菓子を、誰もが口にすることができる、豊かな国に」

 幕末という時代は、侍たちが新政府軍と旧幕府軍の真っ二つに分かれて殺し合った時代だ。だがイデオロギーは違えども、どちらの侍も、みな日本をより良い国にするために戦ったはずだ。新左衛門は、自らが属した旧幕府側会津藩の行く末を見ることなく、現代の日本に来てしまった。だが、日本はこんなにも豊かな国になっている。我らの流した血は、無駄ではなかった。そのような思いのこもった涙に見えた。

『侍タイムスリッパー』©2024 未来映画社

 それ以外にも、なにかと涙ぐむシーンの多い新左衛門だが、ただのいい人ではない。地頭も、相当いい。かなり早い段階で自分は140年後の未来に来てしまったことを受け止め、現代の世に順応する。なりゆきで加わった斬られ役の芝居に魅せられ、侍の自分が現代で生きるには、この仕事しかないと判断する。

 殺陣師である関本(峰蘭太郎)に弟子入りし、時代劇での刀の扱いを教わる。新左衛門は最初、実戦のつもりで刀を真後ろまで振りかぶる。それぐらいでないと、人間を斬り下げることはできないからだ。だが、いきなり関本に怒られる。それでは後ろの人間に当たってしまう、天に向けて構えろと。頭の固い侍なら、「いや、実戦ではこの方が……」とかぶちぶち言いそうなものだが、新左衛門は「なるほど~!」と素直に感心する。相当な順応力だ。

 その後、最後は新左衛門が斬られる立ち回りの手を2人で練習するのだが、どうしても最後は新左衛門が関本を斬ってしまう。毎回断末魔の芝居をした後に「あほっ!」と怒る峰蘭太郎の熟練のノリツッコミに、感動しながら笑ってしまう。昔、志村けんと加藤茶のコンビでよくこんなコントを観た記憶がある。だが、このシーンは単なる箸休め的なお笑いシーンではない。

『侍タイムスリッパー』©2024 Samurai Time Slipper. All Rights Reserved

 新左衛門は現代社会に順応していると書いたが、やはり侍としての本能のようなものは、消えるものではない。心配無用ノ介(田村ツトム)レベルの相手にならやられたふりもできるが、関本レベルの熟練した殺陣師の剣筋には、思わず反応してしまうのではないか。

 また、初めて斬られ役に臨むシーンでは、坂本龍馬に撃たれて死ぬ際、本当に走馬灯を見る。若き日の道場での稽古の日々や、憧れていた女性などを思い出し、「面白き人生であったのう……」と思いながらこと切れる。このシーンもコミカルに描きながらも、新左衛門がどのような世界に生きてきたのかを、シビアに描き出している。いきなり宿敵・長州藩の山形彦九郎(庄野崎謙)暗殺未遂から始まったオープニングシーンでもわかるように、新左衛門は殺すか殺されるかが日常茶飯事の世界で生きてきた。人間が斬られて死ぬ場面には何度も遭遇しただろうし、新左衛門自身も人を殺したことがあるかもしれない。だからこそ、「人間が殺される」ということを、リアルに再現し過ぎてしまうのではないか。

『侍タイムスリッパー』©2024 未来映画社

 ただ、基本的にそこまで深読みしながら観る必要はない。これは筆者がそう思っただけで、安田監督に聞いたら「そんな意味は込めてない!」と怒られるかもしれない。ピュアな新左衛門の姿を、たまにホロッとしつつも笑いながら観ればいい。前半までは。

 斬られ役の仕事にも慣れ、髪型服装ともにすっかり現代に馴染み始めた新左衛門の元に、大ニュースが飛び込んでくる。かつての時代劇の大スター・風見恭一郎(冨家ノリマサ)が、10年ぶりに時代劇映画を撮るという。その相手役に、新左衛門が抜擢されたのだ。

『侍タイムスリッパー』©2024 Samurai Time Slipper. All Rights Reserved

 このまま、いわゆるシンデレラストーリーというか、ジャパニーズドリームというか、太秦ンドリームな話になっていくのかと思った。このままスターになって、ついでに優子殿(沙倉ゆうの)とも結ばれてめでたしめでたし。だが、そんなありふれたお話で、天下の東映が全面協力してくれるわけがない。

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