『逆襲のシャア』はなぜ名作なのか? 『ジークアクス』シャアの“虚無”の正体と富野イズム

TVアニメ『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)』は、シリーズ最初の作品『機動戦士ガンダム』に登場したシャア・アズナブルやララァ・スン、そしてシャリア・ブルといったキャラたちが生き延びていく世界が描かれ、古くからのファンを喜ばせた。ただそれは、映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』で示されたシャアの凄絶な生き様——変わろうとしない人類への警鐘がなくなった道でもある。『逆襲のシャア』にはいったい何が描かれているのか?
「私には分かる。貴方がジオンを率いるのは危険だ。いつかキシリア様のように、地球に住む人類の粛清にたどり着く。貴方の纏う“虚無”がそう言っている」
6月24日に放送された『ジークアクス』の第12話「だから僕は…」の中で、シャリア・ブルが赤いガンダムに乗り込んだシャアに向かって放つセリフだ。
1月17日公開の劇場先行版『機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-』の「Beginning」パートに木星帰りの男として現れたときから、シャリア・ブルは上官でマヴのシャアに共感し、共にザビ家打倒を目論む存在と見なされていた。5年が経っても行方不明になっているシャアと赤いガンダムを探し続けているところや、シムス大尉の前でキシリアとギレンの打倒を口にするところに、シャアへの忠誠心のようなものが伺えた。
それがいきなり、ビームを放ってシャアを攻撃し始めたから驚いた。『ジークアクス』から『ガンダム』シリーズを観始めて、初期作『機動戦士ガンダム』だけを後追いで視聴しても、シャリア・ブルの言葉の意味は分からなかったかもしれない。答えは、富野由悠季が『機動戦士Zガンダム』と『機動戦士ガンダムZZ』を経て1988年に送り出した映画『逆襲のシャア』にある。
『ジークアクス』で「未来でも見てきたような言い様だな」とシャリア・ブルに返すシャアの言葉が指し示しているのがこの映画。シャアはそこで、ネオ・ジオンの総帥として地球に巨大な小惑星を落とそうとして、阻止に動いたアムロ・レイや地球連邦の部隊と戦う。
『Zガンダム』で連邦(エゥーゴ)のクワトロ大尉として、アムロたちと共に連邦の地球至上主義組織「ティターンズ」と戦ったシャアが、『逆襲のシャア』で過激な独裁者になってしまった。この変貌ぶりについて、2024年3月16日に第2回新潟国際アニメーション映画祭で開かれた、富野監督とメカニックデザイナーの出渕裕による『逆襲のシャア』をめぐる対談で発言があった。
出渕によれば、「クワトロは失敗作」で、『Zガンダム』の物語を膨らませる上で“良い人”として登場させたが、それはシャア本来の気質を曲げたものだった。「独善的で、自分がやろうとしていることに手段を選ばず、共感力がなくて人に嘘をつく」のがシャアの本質だと出渕(※1)。それは、『逆襲のシャア』の最後でアムロと対話するところにも及んでいるという。
「わたしは世直しなど考えていない」「愚民どもにその才能を利用されている者が言うことか!」とアムロに放つ言葉も、実は「嘘をついている」と出渕。受けて富野監督は、「初めて聞いたが正しい。ラストシーンでシャアとアムロのセリフを作っている時、その感覚はあった」と述べて(※1)、シャアの言葉の空虚さを認めた。『ジークアクス』でシャリア・ブルがいち早く感じ取ったのが、まさにこのシャアの本質だったのかもしれない。
出渕によれば、ファンは最初の『ガンダム』のときから、シャアの「カッコいい敵というオブラートに包まれて、それに騙されて」いたのだという(※1)。それをシャリア・ブルは見抜いていたのだとしたら、『ジークアクス』作中で彼がシャアについて触れるとき、そこに何か含みがあったのではないかと、声優の演技も含めて検証してみるのも面白そうだ。