『べらぼう』が大河ドラマだからこそ描けたこと 一橋治済の最期に詰まった“物語の強度”

NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』が最終回を迎えた。
森下佳子が脚本を手掛けた本作は、江戸のメディア王として様々な本や浮世絵をプロデュースした蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)の生涯を描いた物語。
吉原で生まれた蔦重は、茶屋「蔦屋」を運営する傍ら、女郎たちの貸本屋をしながら生計を立てていた。しかし非公認の岡場所や宿場といった安価な遊郭が盛り上がる中で、吉原の人気は落ちており、多くの女郎が貧困に苦しんでいた。
蔦重は老中の田沼意次(渡辺謙)に吉原の窮状を訴える。しかし「お前は何かしているのか? 客を呼ぶ工夫を」と、逆に問い返される。

田沼の言葉を聞いた蔦重は、吉原のガイドブック『吉原細見』のクオリティを上げるため平賀源内(安田顕)に序文の執筆を依頼したり、絵師の北尾重政(橋本淳)と共に女郎たちを花に見立てた『一目千本』を制作。その過程で本を作ることの面白さに目覚めた蔦重は、出版業界に進出しようとするが、吉原の生まれゆえに差別され、様々な困難が襲いかかってくる。
物語の見どころは、メディア王として駆け上がっていく蔦重の姿。彼の周囲には喜多川歌麿(染谷将太)や恋川春町(岡山天音)といったクリエイターが次々と登場し、様々な作品を生み出していく。そういった江戸時代のポップカルチャーの生まれる瞬間を描いたクリエイター賛歌のドラマとしてとても楽しい。
そして、もう一つの見どころは彼らの文化の背景としてある江戸時代中期という時代の空気だろう。
物語は二部構成で、老中の田沼意次がおこなった経済政策で町人文化が花開いた時代と、田沼が失脚した後に実権を握った老中・松平定信(井上祐貴)が倹約の徹底と風紀の修正を推進する「寛政の改革」をおこなった時代の出来事が描かれる。江戸時代のお話でありながら、節々で現代の私たちを取り巻く状況とそっくりだと思う瞬間がある。
経済的に豊かで庶民に活力があったが吉原では酷い出来事が次々と起こっていた田沼の時代を観ていると、何でもありで乱暴な時代だった平成(1989~2019年)の空気を思い出す。

あるいは旗本の佐野政言(矢本悠馬)が田沼意次の息子・意知(宮沢氷魚)を斬り殺し、自害したことで、大飢饉が起きて米の値段が高騰して不満が溜まっていた庶民から賞賛されて佐野大明神と神格化される展開を観ていると、山上徹也が安倍晋三元首相を暗殺した事件を想起させると同時に、今も続く米の価格高騰の問題とも通じるものを感じる。どれもセンシティブな題材で、現代を舞台にしたドラマで同じようなシーンを描いたら、厳しい批判にさらされていただろう。
だが『べらぼう』は、史実を描いた時代劇という立場に留まることで、作品の強度を維持し続けていた。





















