『よふかしのうた』が体現した“映像化する意義” アニメ版の魅力を原作ファンが熱弁!

『よふかしのうた』が体現した映像化する意義

 TVアニメ『よふかしのうた Season2』が、7月4日より放送開始される。

 放送当初から話題を呼び、多くのアニメファンを魅了した『よふかしのうたSeason1』。その一方で、「アニメは観なくてもいいか」と、距離を置いていた原作ファンもいたのではないだろうか。好きな作品ほど、アニメ化されることに不安を覚える気持ちはわかるし、展開を知っているからこそ「観る必要がない」と感じるのも理解できる。

 一方で、『よふかしのうた』は原作に忠実な構成で、安心して観られる作品でもある。だが、それだけにとどまらない。原作を映像化する意義、そしてアニメーションだからこそ可能な表現が、本作には確かに凝縮されている。

 だからこそ、もしまだアニメを観ていない原作ファンがいるのなら、Season2からでもその魅力を存分に味わってほしい。本稿では、Season2をきっかけに観始める人はもちろん、原作ファンにこそ伝えたい“観るべき理由”をあらためて言葉にしてみたい。

引き算された音で描く、“夜の自由”

TVアニメ『よふかしのうた Season2』メインPV│全国フジテレビ系“ノイタミナ”にて7月4日(金)より毎週金曜23時30分から放送開始!

 まず特筆すべきは「音」だ。映像にしかない要素のひとつであり、筆者はこの作品ほど“音の引き算”が巧みなアニメを他に知らない。

 『よふかしのうた』の核にあるのは、主人公・夜守コウの視点を通して描かれる“夜の自由”だ。車道の真ん中を歩いてもいいし、誰もいない公園にたたずんでもいい。何をしても許される、静かで、どこか非現実的な時間。その夜の空気感を、アニメではチルアウト系のサウンドや、あえて“無音”を流すことで、丁寧にすくい取っている。無音の中にも、実は繊細なグラデーションがあるから驚きだ。

 たとえば、七草ナズナとコウが屋上で過ごすシーンでは、会話劇の後ろで風の音だけがそっと聞こえてくる。夜が明ける少し前の場面では、たまに通り過ぎる車の音が、街の眠りをかすかに揺らすように響く。鶯アンコと出会ったコウが喫茶店で会話するシーンでは、ほとんど無音に近い中、ときおり挟まれるBGMが、客足の途絶えた深夜の店内にわずかな残響を残していく。限られた音だけで描かれる“引き算”の巧みさが、私たちの記憶にある夜を、そっと呼び起こしてくれるのだ。

 そして、アバンが終わると同時に始まる、Creepy Nutsによるオープニングテーマ「堕天」のスタイリッシュさに一気に引き込まれる。前奏なしにラップから始まるテンポ感も心地よく、毎話の幕開けに自然と期待が高まる。

 原作コミックスのタイトルが、本作のエンディングテーマにも使用されたCreepy Nutsの楽曲「よふかしのうた」からインスパイアされているのは有名な話だが、挿入歌「ロスタイム」もまた、作品世界と深く響き合う。監督は、Creepy Nutsに「飛翔感というよりは浮遊感を」とオーダーしたというが(※)、その言葉どおり、ナズナとコウが夜の街を漂うシーンにぴたりと重なり、映像と音が生み出す“浮遊する夜”の感覚を際立たせている。

色と構図で紡ぐ“よふかし”の世界

 次に触れたいのは、「光」の演出だ。 原作者・コトヤマは、本作が吸血鬼を題材にした作品になった背景として「団地と吸血鬼を掛け合わせてひとつにできないか」と考えたことを、公式ガイドブックで明かしている。その言葉どおり、原作にはコウの暮らす団地周辺を中心に、“日常の中にある夜の明かり”が細やかに描き込まれている。

 アニメでもその感覚は丁寧に引き継がれ、街の風景に星空が重なるような引きのカットがたびたび挿入され、夜という時間帯の静けさと広がりが際立つ。

 『よふかしのうた』の舞台である団地や繁華街は、漫画では当然モノクロで描かれるが、アニメでは紫、ピンク、青といった淡い色彩が空気に溶け込むように画面を満たしていく。そこに街灯や看板のネオン、自販機の明かりなど、さまざまな人工の光源が混ざり合い、それぞれ異なる質感と温度で映し出される。配色や光の強弱まで計算された繊細な画づくりによって、“夜が主役の物語”であることが、視覚的にも確かな説得力をもって立ち上がってくるのだ。

 それはただ「夜の美しさを描くため」というよりも、主人公・コウの目に映る夜の特別さそのものだろう。つまり私たち視聴者は、アニメーションを通して、コウとナズナが生きる“夜”を共有することができる。なんて贅沢なことだろう。

 こうした美しい背景や演出の完成度の高さが、大きな注目を集めたのも納得だ。監督を務める板村智幸は、2012年に『偽物語』でシリーズディレクターを務めて以降、『猫物語(黒)』をはじめとする〈物語〉シリーズの数々を手がけてきた実力派である。個人的には、『よふかしのうた』と同じく吸血鬼を題材にした『ヴァニタスの手記』の、鮮やかでありながらどこか退廃的なゴシック表現を思い出した。夜の美しさを描くセンスと構図の妙に、通じるものを感じたのだ。

 『よふかしのうた』のなかでも、とりわけ印象に残っているのが、Season1最終話の自販機の前でのラストシーンだ。

 アニメ第1話で描かれた、ナズナとコウの出会いをオマージュした最終話のシーンは、原作の中でも象徴的な場面として描かれていた。しかしアニメでは、その瞬間がさらに丁寧に演出されている。ナズナの言葉の間に、夜の闇にぽっかりと浮かぶ月、そこに重なるように映る“ぺんぺん草=ナズナ”の影……。そこから、アキラや真昼など、本作の登場人物たちのそれぞれの“夜”が、最後に短く描かれていく。

 アニメという表現手段でわずか数秒のカットに詰め込まれたその情景には、原作に忠実でありながら、観る側の想像を優しく押し広げてくれるような、静かな間が息づいていた。この一連のシーンだけでも、「アニメ化された意味があった」と感じさせてくれる。そんな力が、アニメ『よふかしのうた』には確かに宿っていた。

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