ジュリアン・ムーアとシドニー・スウィーニーが共演 『エコー・バレー』は挑戦的な一作に

『エコー・バレー』は挑戦的な一作に

 その結果、ケイトは脅迫者ジャッキー(ドーナル・グリーソン)に大金を要求されることとなる。暴力的で冷酷なジャッキーは、ケイトを支配して自分の思い通りに動かしていく。そんな状況下において力になってくれるのが、親友のレスリー(フィオナ・ショウ)や、知人のエマ(レベッカ・クレスコフ)ら、女性たちの連帯である。

 なかでも、ケイトとともにクィアのコミュニティをかたちづくるレスリーは、不安定なケイトを励まし慰めてくれる、精神的拠りどころとなっている。本作の撮影がおこなわれたというニュージャージー州、そして作中の舞台となっているペンシルベニア州といった、アメリカ北東部は、アメリカ全体のなかでは政治的に進歩的な地域だといえる。ペンシルベニア州もまた、都市部ではLGBTQフレンドリーな傾向がある。

 とはいえ、農村部では保守的な人々も少なくなく、北東部のなかでは政治的な支持傾向が割れることで、近年の大統領選では「激戦州」と呼ばれている。本作で暴力的な男性たちに対して、女性やクィアのコミュニティが連帯して立ち向かう構図は、まさにペンシルベニア州の状況が投影されていると考えられる部分だ。

 そんな対立構造を複雑にするのが、娘のクレアの存在だ。彼女は女性の連帯に加わることなく、家族の絆や愛情を利用して、母親のケイトから全てを、計算高く吸い尽くそうとするのだ。そんな悪魔的な性質を持っているのに、彼女の愛らしい顔や困っている姿を目の当たりにしたケイトは、親として助けざるを得なくなってしまうのである。このような役を、スター俳優といえるシドニー・スウィーニーが演じているというのが、素晴らしく上手いキャスティングだといえよう。

 本作は、この親子関係を通して、観客に「家族とは何か」、「愛はどこまで許されるか」を問いかけてくる。ハリウッド娯楽作におけるセンチメンタルな家族劇を拒否し、愛の持つ“毒性”を突きつけるのだ。何度も娘を許してしまうケイトの振る舞いに、観客は苛立つかもしれないが、それがシドニー・スウィーニーの姿で演じられると、「確かに許しちゃうかもしれない……」と思ってしまうような説得力を生むのである。つまり、親から見た自分の子どもの愛らしさというのを、視覚的に表現しているのが、シドニー・スウィーニーということなのだ。

 われわれもまた、クレアは今度こそ改心するのではないかと、またチャンスをあげたくなってしまうのが不思議なところだ。これは、ハリウッド映画などをはじめとする娯楽作品の多くが、しばしば“正しさ”と“美しさ”を同じものとして描いてきたからなのかもしれない。こういった、外見と内面の印象を一致させてしまう心理は、「ハロー効果」などと呼ばれたりする。

 ジュリアン・ムーアが見事に体現してみせる、孤独な境遇に陥ったケイトという役柄は、過去に採録した映像や音声を聴きながら、雄大な自然のなかで暮らしている。だからこそ、娘との共依存に応じてしまうという部分もある。反響がこだまする山に囲まれた地域を指す、架空の地名「エコー・バレー」は、閉鎖的な場所で過去からの“こだま”に耳をすませる一人の女性の生き方と、親子という関係に絡め取られる境遇を暗示しているのだ。

 このような要素を凝縮して一つの光景、物語へと昇華させた本作『エコー・バレー』は、単なるサスペンスやスリラーであることを超え、アメリカの地方文化や人間心理の複雑さを、地理的な条件とともに鮮やかに映し出す、レベルの高い一本だ。そして、この作品がぞくぞくするほど恐いのは、本当の脅威は外からではなく、自分の心の内側から来るのではないかという可能性を描いているからである。

■配信情報
Apple Original Films『エコー・バレー』
Apple TV+にて配信中
出演:ジュリアン・ムーア、シドニー・スウィーニー
監督:マイケル・ピアース
画像提供:Apple

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