ハリウッドスターは消えるのか? トム・クルーズ、ティモシー・シャラメなどから考える

日本では、“洋画離れ”が進んでいると言われる。ハリウッド映画に対する関心が薄れ、海外の映画作品全般への注目度が下がっているのは、近年の興行成績にも表れている。
そんな、いまの一般的な日本人が思い浮かべる“ハリウッドスター”といえば、例えば男性俳優では、いまだにトム・クルーズ、ブラッド・ピット、ジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオなど、いま50、60歳代の面々なのではないか。
だが、こうした現象は日本だけではない。じつはアメリカ本国でも、同様の兆候があるようなのである。「トム・クルーズは最後のハリウッドスター」……『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』の公開に際し、このような言葉が、メディアやファンの間で発せられているのだ。
ここでは、エンターテインメント業界が大きな変革のときを迎えている現在、「ハリウッドスター」という存在がどのように変容を迫られているのか? そして、今後どのような状況になっていくのかを、映画の未来とともに考えていきたい。

「トム・クルーズは最後のハリウッドスター」。この言葉が意味するところは、映画興行そのものが危機に瀕している状況だ。いまや、音楽も映画も、多くの作品が定額制で聴き放題、見放題のサービスを、多くの人々が利用している空前の「サブスク(サブスクリプション)」時代。さらにはゲームや動画、SNSなど、自宅でさまざまな娯楽が享受できるなかで、コアな映画ファン以外の人々が、チケット代を払って劇場に映画を観に行くには、それだけの理由が必要になっているのである。そういう引力を持ったスターは、もしかしたらトム・クルーズが最後なのかもしれないというわけだ。
ハリウッドスターの歴史は、映画産業そのものの歩みとも重なる。20世紀初頭、映画が娯楽の王様として急成長を遂げていくなかで、観客を劇場に呼び込む存在として“スター”の価値も確立されていった。顔が売れていけば売れていくほど、作品もヒットする。
チャップリンやグレタ・ガルボ、フレッド・アステア、マリリン・モンロー、エリザベス・テイラー、オードリー・ヘップバーン、ロバート・レッドフォードから、シルヴェスター・スタローン、ハリソン・フォード、ジュリア・ロバーツ、ジョージ・クルーニー、アンジェリーナ・ジョリーやジェニファー・ローレンスなどなど、映画史のなかで時代ごとにスターは変化しながらも、観客にとってその存在は憧れであり夢であり続けた。俳優たちのカリスマ性は映画の興行を牽引し、その存在感は、しばしば作品そのものをも超えたのだ。
このスターという概念が、段階的に揺らいできているのである。具体例を出すのは避けるが、俳優の名前で一定の動員数が稼げるケースが減っているのは確かだ。『ミッション:インポッシブル』シリーズのように、「主演スターが出演しなければ成り立たない」ような映画は希少になってきているのだ。昔からスターが出演していながらヒットしなかった映画は存在したが、それが例外だった時代と比べて、現代ではスターの出演が興行的な成功に結びつく図式自体が、もはや通用しなくなっている。
この原因を、俳優自体に求めるのは少々酷なことだろう。娯楽の細分化やメディアの多様化という、根本的な仕組みが変化した影響が大きいと思われるからだ。いまやサブスクにより、自宅で簡単に多くの映像作品に触れることが可能となった。視聴者の需要に応えて多くのコンテンツが世に放たれ、すぐに次の作品へと話題が移っていく。
一作ごとの重みが失われるなか、スターの存在感が希薄になっているのだ。また旧作も気軽に観られることで、旧作のハリウッドスターたちが、現役俳優と競合することになる。さらには、一般人たちも動画サイトやSNSで人気を集めていく。ティモシー・シャラメやゼンデイヤなど、いまハリウッドで最も充実した活躍を見せる現役の若手映画スターも、こういった経緯で人気が目減りしているのは確かなことだろう。




















