性風俗を美化せず悲劇にもしないリアルな質感 『うぉっしゅ』が描く“自己肯定”の物語

リアルサウンド映画部の編集スタッフが週替りでお届けする「週末映画館でこれ観よう!」。毎週末にオススメ映画・特集上映をご紹介。今週は、高校時代はピンク髪スタイルだった時期もある佐藤が『うぉっしゅ』をプッシュします。
『うぉっしゅ』

「他者を信頼できる人は、自分を信頼できる人です。自分で自分を大事にしているからこそ、『自分が相手から大事にしてもらえている』と気付くことができます」
ほんの数日前に読んだ、「元風俗嬢は今どこで何をしているのか?」という記事の中で、ある女性が語っていたこの言葉が、映画『うぉっしゅ』の余韻と深く重なった(※)。
性風俗の世界では、自分の感情を自覚できない、あるいはしたくないと感じる女性が多いという。中には「自分には、性風俗以外にできる仕事はない」と思い込んでしまい、自己否定のような状態に陥る人もいるというのだ。『うぉっしゅ』が描くのは、まさにその“自分を大事にすること”の始まりにある、すこし不器用だが確かな一歩である。
本作は、性風俗という職業を過剰に持ち上げることも、過度に悲劇として描くこともない。あらすじを読んだだけでは想像できないテーマが本作には描かれているのだ。ソープ店で働く主人公の加那(中尾有伽)と認知症の祖母・紀江(研ナオコ)の交流を通して、世間が貼りたがる“ラベル”が、やさしく洗い流されていく。

出演発表の際に、「出来上がった映画を初めて観たとき『クレヨンしんちゃん』みたいだなと思いました。主人公に自分を重ねてもいいし、友情、恋愛、家族の視点もあって、幅広く届くものになっている」とコメントを寄せていた加那役の中尾有伽(※2)。
『暁闇』や『窓辺にて』、ドラマ『エルピス—希望、あるいは災い—』(カンテレ・フジテレビ系)と、複雑な感情をさりげなく映し出す芝居に定評のある彼女が今回挑んだのは、ソープ店で働く女性役。仕事中の加那は笑顔を絶やさず、どこか“慣れた人”のように映る。その一方で、認知症の祖母と向き合う場面では終始むっつりしていて、不機嫌な沈黙が続く。そのギャップがとてもリアルで、心の奥底にある孤独感がにじみ出ていた。
中尾が言う「『クレヨンしんちゃん』みたい」という感想は、単なるポップな例えではないのかもしれない。笑って泣ける“家族もの”としての奥行きや、血のつながりがあるからこそぶつかってしまう難しさ。本作の核には、そんな親密さと不器用さが隣り合う関係性がしっかり描かれている。ソープ嬢である以前に、一人の孫であり、一人の人間である加那の姿を、中尾は飾り気のない芝居で立ち上げていた。

“きえちゃん”こと、認知症の祖母・紀江役を演じた研ナオコにも言及しておきたい。『うぉっしゅ』で見せた痩せ細った姿と無表情は、言葉では表しきれないほどの生々しさを持っていて、心に響くものがあった。中尾と共にW主演を務めたこの作品は、芸歴55年の中で9年ぶりの主演映画だったという。
私が研ナオコを初めて見たのは、お笑い番組『ドリフ大爆笑』(フジテレビ系)だった。当時の私は彼女のことをずっと“コメディアン”だと思っていた。だからこそ、今作で見せた静かな存在感や役への没入には、いい意味で裏切られた気がした。





















