江戸時代の武士の多くは借金苦? 『べらぼう』でも話題「旗本」の実態を解説

『べらぼう』でも話題の「旗本」の実態

 NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(NHK総合)第14回では、1778年、検校らの高利貸しが問題となり、瀬川/瀬以(小芝風花)の夫・鳥山検校(市原隼人)が捕らえられた。瀬川の離縁が決まり、一時は蔦重(横浜流星)と一緒になろうと決めるも、瀬川は蔦重のもとを去った。

 その発端は、旗本出身の女郎の松崎(新井美羽)に瀬川が刃物で襲われたことだった。瀬川は、世間が検校に向ける憎しみが、妻であった自分にも向けられていることを悟ったのである。

 検校らへの検挙のきっかけとなったのも、同じ旗本で、検校らへの多額の借金のカタに家督を奪われそうになり出奔した森忠右衛門(日野陽仁)親子の訴えからだった。

 これほど困窮していた旗本とは、一体どのような身分だったのか、年収や実際の生活について書いてみたい。

旗本とは、どのような身分だったのか?

 江戸時代の武士(家臣)は、大きく分けて「幕府の直参家臣」と「大名家の家臣」の2種類がいた。

 「旗本」は幕府の直参家臣のうち将軍の「御目見」以上、つまり将軍への謁見が許される家格のこと。将軍への謁見が許されない家格は「御家人」と呼ばれた。

 ドラマより50年ほど前の1722年の記録によれば、幕府の直参家臣は約2万2,000人。そのうち旗本は約5,000人、御家人は約1万7,000人いたという。

 旗本も御家人も知行は1万石未満と決まっており、旗本が1万石を超えると大名となる。

 老中・田沼意次(渡辺謙)の捜索で発見された森親子が、将軍・徳川家治(眞島秀和)の面前に出頭していたのは、彼らが旗本だから。

 当然、将軍にはおいそれとは会えない。旗本は大名に次ぐ高い地位であり、それが困窮しているからこそ由々しき問題なのである。

旗本の年収、300石の旗本の場合

 江戸時代の武士のイメージといえば、羽振りがよく威張っていて、庶民を理不尽にいじめてやりたい放題、自由だったように思えるかもしれない。しかし実際には、旗本でも生活は苦しく、しかも自由はなかった。

 旗本約5,000人の中でも3000~5000石以上の大身は10%の500人ほど。大部分は300石以下だった。年貢の率は四公六民なので、300石の旗本の年収は実質120石である。

 幕府の役職に付いていれば手当がもらえたが、お役に付くのは簡単ではなく、無役の場合はこの120石が収入のすべてだったのだ。120石の収入とはいくらだったのか、ざっと計算してみた。(1石=2俵、1俵=60kgで計算)

 計算するにあたって、現在は「令和の米騒動」と呼ばれ米の高値が続いているため、2023年までの取引価格60kg約15,000円を基準とすることにした。それでいくと、120石は約360万円である。(※2024年の米の取引価格60kg約25,000円で計算すると、120石は約600万円)

武士の大部分は年収360万円以下で家族と家臣を養っていた?

 夫婦2人で暮らすのであれば、360万円あれば十分かもしれないが、家族が増えても現代のように扶養手当がもらえるわけではない。

 さらに武士は、石高に応じて雇う家臣の人数や飼う馬の数なども決められていた。家族(4~6人)と家臣1人を養うとなれば、360万円ではとてもやっていけないだろう。

 しかも、300石以下の旗本には当然、それ以下の収入の家も含まれる。200石で約240万円、100石では120万円となるのだ。100石以下の旗本は全体の約15%、800名ほどいたという。

 当時の人気職だった大工の年収は約350万円、人気歌舞伎役者には1億円稼ぐ「千両役者」もいた。200石以下の武士は収入面では彼らに到底かなわなかったのである。

 では、そのような小禄の旗本や御家人は、どのように生活していたのか。現代と同様、武士の間では副業が大ブーム、いや必須だったのである。

旗本の副業~内職にペット飼育、寺子屋に家賃収入の豊富なラインナップ

 傘や提灯などは専門の職人が作っていたと思われがちだが、旗本や御家人が内職で作っていたものもかなり流通していた。下谷御徒町の御家人屋敷では当時ブームだったアサガオを毎年栽培していた。それが現在の朝顔市につながっているという。

 ほかにも寺子屋の師匠に凧張りや盆栽づくり、小鳥や金魚、虫を飼う武士もいた。また、屋敷の一部や空いた土地を町人やほかの武士に貸して、地代・家賃収入を家計の足しにすることも一般的におこなわれていた。

 そのように涙ぐましい努力をしても、家族を養うだけで精一杯、家臣まではとても置けない。そこで江戸時代に繁盛したのが、武士専門の口入屋(くちいれや)である。口入屋とは現代のハローワーク(職業安定所)のこと。

 小禄の旗本は普段は家臣を置かず、行事などの際に口入屋から日雇いで家臣を雇った。そのような臨時家臣は武士とは限らず、町人や農民の一日アルバイトだった可能性もあるという。

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