松坂桃李主演『雪の花 ―ともに在りて―』が描く職業倫理 医者はなぜ“先生”と呼ばれるのか

医者が先生と呼ばれる理由は、人より高い位置にいるからではない

鼎哉が良策に教えたのは単なる知識ではなく「先生」のあり方である。その一例と言えるのは、彼が福井に戻った際に再会するはつ(三木理紗子)という女性への接し方であろう。冒頭登場する疱瘡患者の唯一の生き残りであるはつは、自分だけがあばた(天然痘の治療痕)を残して生き残ったことに鬱屈を抱えていたが、そんな彼女に良策は堅苦しく説教をしたりはしない。あくまでも目線を同じくし、傷ついたその心に寄り添おうとする。――言い換えるなら、本作のタイトル通り「ともに在ろうと」する。
ともに在ること。それは彼が種痘の普及のため奔走する全ての場面に通底する姿勢だ。保存技術が大きく劣る当時は「種痘の苗」を入手できたとしてもそれを絶やさないのも極めて困難で、1人2人の医者が知識を得ただけではとうてい問題は解決しない。もちろん、かつての良策ですらそうであったように当時は西洋医術への偏見がはなはだしく、妨害を受けることも多い。だからこそ良策は協力に応じてくれた人々にできる限りのことをするし、時には処罰されることすら覚悟で藩へ物申したりする。
本作では種痘の実施を邪魔しようとする役人や医者にはあまり目立った個性は与えられていないが、これは彼らが既存の「先生」の象徴であるからだろう。人を救える権力や技術を振るう立場にありながらそれにあぐらをかき、偉そうにしているだけの「先生」……それは良策が種痘に手をこまねくだけの人生を送っていればいずれは同じようになっていたかもしれない、嫌悪していた自分のあり得た鏡像だ。
だからそうした者たちに真っ向から立ち向かい、歴史上に大きな名を残さずとも人々とともに在る町医者たらんとする良策の姿は私たちの目に清々しく映る。彼を見て「自分も彼のようになりたい」と思ったならその時、あなたは良策に「先生」を見ているのだ。人生の指針を、先に生き様を示した人の偉大さをそこに見ているのだ。実際、本作で描かれるような苦労を重ねて種痘の普及に尽くした彼を呼ぶのに「先生」以上にふさわしいものがあるだろうか?
人の命を救うことは、人より高い位置から見下していてはできない。「医は仁術なり」と言われる所以であろう。あくまでも人とともに在り、人の先を生きる者――だから医者は「先生」と呼ばれるのである。
■公開情報
『雪の花 ―ともに在りて―』
全国公開中
出演:松坂桃李、芳根京子、三浦貴大、宇野祥平、沖原一生、坂東龍汰、三木理紗子、新井美羽、串田和美、矢島健一、渡辺哲、益岡徹、山本學、吉岡秀隆、役所広司
原作:吉村昭『雪の花』(新潮文庫刊)
監督:小泉堯史
脚本:齋藤雄仁、小泉堯史
音楽:加古隆
配給:松竹
©2025映画「雪の花」製作委員会
公式サイト:https://movies.shochiku.co.jp/yukinohana
公式X(旧Twitter):@yukinohana2025






















