『おむすび』が描いた“震災の記憶”と向き合う意味 一生叶うことのなかった「また明日」
1995年1月17日、日本で初めて最大震度7を記録した阪神・淡路大震災が発生した。筆者は実際に体験してはいない。しかし、2011年3月11日の東日本大震災を震源地から近い場所で経験した当時の記憶が鮮明に思い出された。『おむすび』(NHK総合)第22話では、避難所で暮らす幼い結(磯村アメリ)と歩(高松咲希)には耐え難い光景が広がっていた。
地震発生から翌日、避難所で過ごしていた結たちのもとに、泥だらけになった聖人(北村有起哉)が戻ってきた。至る所から火が燃え上がっており、インフラ設備も壊滅的な状況だという。阪神高速が横倒しになっているという情報からも当時の悲惨な状況が伝わってくる。自宅に戻ると話す聖人に、結と歩は一緒に行きたいと懇願するが、愛子(麻生久美子)から止められてしまう。一人自宅へと向かった聖人が目撃したのは現実とは思えない光景だった。
あれだけ制止された結と歩だったが、愛子がいない隙を見計らって2人で家に戻ると、そこには家の前で呆然とする聖人の姿があった。結の目の前にはいつものにぎやかな商店街の面影は一切なく、瓦礫に埋まった「BARBER」の文字だけがある。目の前に広がる光景を見て「嘘や……」と言葉を漏らす結。まだ幼い結にとってこれまで平和に暮らしていた家が崩れている光景は、高校生となった今でも鮮明な記憶として残っていた。
あたり一面に広がる静寂と人の群れ。避難所のラジオからは震災の情報を知らせるニュースばかりが流れている。これからどうなるのか分からない不安との戦いだった。『おむすび』が阪神・淡路大震災を扱う作品であることは事前に知っていたものの、同じく東日本大震災を経験した筆者の記憶も同時に掘り起こされる。正しい記憶は定かではないが、おそらく1週間ほどは電気・水道・ガスのライフラインを使うことができず、結たちのように毛布に包まりながら生活していた。避難所の生活は思った以上にストレスが溜まる過酷な環境だ。結たちも相当な苦痛を抱えながら、生活していたのだろうと思うと胸が痛くなる。