『おむすび』根本ノンジは“平成”をどう描ききる? 単純に見えて複雑で濃密な細部の数々
根本ノンジが脚本を手がけるNHK連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『おむすび』が4週目を終えて、大きな山場を迎えている。
舞台は2004年の福岡県糸島、高校に入学した米田結(橋本環奈)は、友人に誘われて書道部に入部し、先輩の風見亮介(松本怜生)に憧れの感情を抱く。一方、伝説のギャルだった歩(仲里依紗)の妹だと知られた結は、ギャルのチーム・ハギャレン(博多ギャル連合)のメンバーにならないかと誘われる。ギャルの歩が両親に迷惑をかけていたことが嫌だった結は、ハギャレンとギャルを否定するが、次第に彼女たちが真剣にギャルをやっていることに感化され、ハギャレンに加入。糸島フェスティバルでパラパラを踊るためにみんなと練習するようになる。
第1~3週は、結を取り巻く人間関係と糸島を中心とした福岡の土地の空気。そして2000年代という時代を見せようとしていたように感じた。
個人的な話となるが、筆者は2000年代に福岡に住んでいた。そのため、天神や博多といった街の土地勘はあり、山と海に囲まれた糸島の雰囲気も理解できる。そのため、福岡の風景が映る度に懐かしい気持ちになる。
同時に、土地や時代の描写と同じくらい懐かしく感じるのが、浜崎あゆみのヒット曲やヨン様といった当時のカルチャーの見せ方だ。何より2000年代フィクションのエッセンスが劇中に巧みに盛り込まれていることに感心している。
例えば、結が書道部で活動している場面を見ていると矢口史靖監督の『ウォーターボーイズ』や『スウィングガールズ』、山下敦弘監督の『リンダ リンダ リンダ』といった当時流行した部活ものの青春映画を思い出す。
一方、劇中で描かれるギャルたちを観て思い出すのが、茨城県下妻市を舞台に、ロリータ少女とヤンキー少女の友情をポップなタッチで描いた中島哲也監督の映画『下妻物語』。
2000年代はハギャレンのギャルのような郊外で暮らす少年少女がポップカルチャーを拠り所に成長していく青春物語が多数作られていた。テレビドラマでは宮藤官九郎が脚本を担当した『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)や『木更津キャッツアイ』(TBS系)がその筆頭だろう。
『おむすび』では「ダサいことは死んでもするな」というハギャレンの掟が登場し「ダサい」か「ダサくないか」が、行動の指標となっているのだが、これは『池袋ウエストゲートパーク』や『木更津キャッツアイ』で宮藤も描いていた若者の行動理念で、善悪を正面から語ることは恥ずかしいが「ダサい」か「ダサくないか」という気分を通してなら自分たちの美学を語ることができた2000年代の若者の気分を的確に捉えていると言えるだろう。
結は学校の部活とギャルのチームという真逆の世界を行き来するのだが、彼女自体は常に受け身である。むしろ何かに夢中になって行動することに対して常にブレーキをかけているようで、始める前から全てを諦めているような消極的な振る舞いが妙に印象に残る。
米田家が過去に神戸で暮らしていたことから、1995年に起きた阪神淡路大震災を体験したことが、結の抱えている何も信じることができない厭世感と深く関係していることはある程度は推察できる。ただ、その問題に切り込まず、青春ドラマが楽しく展開されていくため、明るさの中に常に不穏な気配が立ち込めていたのが、本作を観ていてずっと気になっていた。それが第4週で姉の歩が帰ってきたことで、物語は一気に加速する。