Netflix映画『喪う』が描く深い人間ドラマ “名作”の濃密かつ繊細なアプローチを紐解く
アメリカ映画では、長い間CG合成などの技術革新が内容に反映されてきた反動で、むしろアナログな取り組みが際立ち、観客や批評家に評価される傾向が生まれている。その意味において本作のアプローチは、一見時代に逆行しているように見えるが、じつは時流に乗ったものだともいえるのである。
この辛辣でリアリティある人間ドラマは、ウディ・アレン監督の『インテリア』(1978年)や、日本の小津安二郎監督による、ありふれた家庭の姿を描いた作品に近いものがある。とくに小津作品は、日本の家庭のしみじみとしたあたたかさを描いたものだというイメージを持たれることもあるが、じつは多くの作品で、家族の関係におけるいびつさや欺瞞などを、こわいほどに批判的に描いている。例えば『東京物語』(1953年)では、血のつながりよりも個々の人間性が人と人との関係において重要であるということを描いている。
本作『喪う』は、これらの作品と比較するとややマイルドな表現で、娘たちを作中でフォローもしているが、同時に血のつながりというものが人間関係のなかで最も強いものであるとは限らないという見方において、『東京物語』などのテーマと共通しているところがあるといえよう。
物語のなかで観客に明かされるのは、レイチェルが父親ヴィンセントとは血のつながりのない娘であるという事実だ。だから彼女は、自分とは事情の異なるケイティとクリスティーナに対して疎外感をおぼえ、それが確執へとつながっていた面があった。彼女たちは、本作の原題である「His Three Daughters(彼の3人の娘)」ではありながら、「3人の姉妹」とは言えない関係となっていたのである。だからこそ、父親がいなくなってしまえば、そのつながりは希薄なものになってしまうおそれがある。
しかし、本作の劇中で自分たちの言い分を出し合い、また自分たちの非を認め、さらには父親の最期に立ち会う経験を通して、彼女たちの根底には、じつは互いへの深い愛情があったことが分かってくる。この苦難の道のりを一緒に歩むことによって、彼女たちは本当の意味で「3人の姉妹」になっていくのだ。
クライマックスといえるシークエンスでは、観客を驚かせる趣向が用意され、そこで観客は、彼女たちの優しさや思いやりをより意識することになるだろう。この演出は幻想的なものであり、作中で現実に起こったものではないと考えられるが、そこで語られる話は、彼女たちの“真実”を表現したものとして、意義深いものとなっている。そして観客は、彼女たちの関係性を、自分の生き方に重ね、自身と家族、人との関係性をあらためて振り返らざるを得なくなってくるはずである。
いまの時代に、本作『喪う』のような、濃密かつ繊細なアプローチによって、考え抜かれた人間ドラマが堪能できるというのは貴重なことだ。しかし、家族の死を連想させる話や、自分の生き方を考えさせられる内容は重く、とっつきづらい面もあるだろう。この映画は、現実の逃避のためというより、現実に対峙させられる性質を持った一作なのである。とはいえ、このような身近な辛さを描く題材だからこそ、われわれ観客は真に登場人物たちの葛藤や事情に、より深いところで心を寄せ、これが自分たちの物語であると実感できる部分があるといえるのである。
■配信情報
『喪う』
Netflixにて配信中
出演:ナターシャ・リオン、エリザベス・オルセン、キャリー・クーン
監督・脚本:アザゼル・ジェイコブス