“原爆の街”をなぜ映画に? 『リッチランド』監督に聞く、アメリカ社会が抱える矛盾
プルトニウム製造施設ハンフォード・サイトで働く人々のために建設された町「リッチランド」に暮らす人々を追いかけたドキュメンタリー映画『リッチランド』が、日本で公開された。
町のシンボルはキノコ雲で、ボウリング場やカフェには原爆由来の店名がつけられるこの町で、人々は核兵器を「町の業績」と誇る。一方で、放射能被曝で家族を亡くした人々など、複雑な思いを抱える人々もいる。映画は、そんな町の人々と土地を奪われた先住民や原爆サバイバー3世の日本人を登場させるなど、核がもたらしたものを多面的に見つめている。
公開に合わせて来日したアイリーン・ルスティック監督に、本作について話を聞いた。(杉本穂高)
世代と階級で分断される「町の業績」に対する想い
ーーリッチランドのシンボルマークであるキノコ雲について、一部の大人が誇りに思うと答える一方で、高校生たちが変えるべきだと議論するシーンが印象的です。あのシーンはどのように成立させたのですか?
アイリーン・ルスティック(以下、ルスティック):実は、あのシーンが一番大変で、4年かかって撮影の終盤にようやく実現できました。撮影開始当初から若い世代にも目を向ける必要がある思っていました。それは彼らは町の中心となる世代とは違う考えを持っているのではないかと思ったからですが、高校に撮影許可を願い出ても拒絶されました。どうしようかと思っていたところ、あの高校生の中に映画を作ったことのある子がいたんです。それはハンフォード・サイトについての作品で、地元では話題になったことがあるのです。それを聞いて、この映画にも興味をもってくれるのではと思いコンタクトをとり、現場プロデューサーになってもらい、議論の参加者を募ってもらったんです。
――あのシーンで高校生たちはキノコ雲の校章に反対していますが、彼らの意見は町に暮らすあの世代を代表する声なのでしょうか?
ルスティック:やはり町を代表するのは、たくさんの人がキノコ雲がプリントされたシャツを着て応援している、高校のアメリカン・フットボールチーム「リッチランド・ボマーズ」の試合の光景ですね。この意見の相違には階級の問題も横たわっていると思います。労働者階級は世代にまたがってハンフォード・サイトの仕事をしていますから、そうした家族の子どもたちは上の世代が信じてきた愛国心を持って育ってきました。もう少し裕福で教育水準も高い家庭の子どもたちは、町の問題に距離を置いて見ているのだと思います。
――では、彼らの親世代はどうなのでしょうか?
ルスティック:世代は離れれば離れるほど、歴史的事実を問い直すことができたり、新たな視点を獲得できるようになります。ですので、あの高校生たちほど、親世代は原爆について強く問い直すことは出来ていないのではないかと思います。彼らの親世代は自分たちの祖父母がやってきたことを守らなければという思いを強く持った人が多いと思います。その点については保守的な部分がありますね。プルトニウムを製造することを生業にしてきた人々がすぐそばにいて、そのレガシーを守る必要があると感じてきた人々です。
町に暮らす被曝者たち
――かつて乳児や新生児の死亡が多かったと語る女性、トリシャ・プリティキンさんは健康被害を抱える被曝者ですね。
ルスティック:おっしゃる通りです。彼女は両親と兄、それから生まれる前の弟も亡くしていそうです。本人も甲状腺の異常を抱えています。彼女は「風下活動家」と呼ばれていて、40年以上も放射線物質が垂れ流されていた地の風下に暮らしていて健康被害を受けたことで補償を訴える人々をそう呼称しています。彼女は政府を相手に25年にも渡る裁判を記録した本を出版しています。昨年、日本でも翻訳出版されたと聞いています(『黙殺された被曝者の声 アメリカ・ハンフォード正義を求めて闘った原告たち』明石出版)。
――あの町には、トリシャさんのように健康被害を受けた方が他にもたくさんいらっしゃるということなんでしょうか?
ルスティック:はい。しかし、あの町ではそれを語れない雰囲気がずっとあったんです。誰かがガンを発症しても時間が経ちすぎていて、因果関係を立証するのが困難なケースも多く、正確な実態は把握が難しいという状態です。世代をまたがるとさらに把握は困難になっていきます。
――健康被害を訴えると町の業績に傷をつけることになるというような、そういう同調圧力が被害者の口をつぐませてきた歴史があるということですか?
ルスティック:はい。社会的な制裁があると見なされていることは確かで、映画の終盤に登場する、お父さんを放射線被曝で亡くされたキャロリンさんは、2001年に議会の公聴会でそのことを語ったことがあるそうですが、その時、町の人々の怒りを買ったらしいのです。健康被害がある事と、核施設に対するプライドとの緊張関係があの町のコミュニティにはあります。特に、労働者階級で核施設の仕事をしてきたおかげで家族を養ってきた方々にとって、実はそれが愛する者に被害をもたらした暴力的なものだということは、なかなか認めづらいのだろうと思います。この引き裂かれた矛盾は、現代アメリカの保守的な政治や社会状況の根幹にもあるものだと考えています。
――町の被曝の実態に加えて、ハンフォード・サイトは先住民から奪った土地であるという指摘が映画に含まれています。先住民の取材で苦労した点はありますか。
ルスティック:2つの部族が映画に登場しますが、どちらの部族の方にアクセスするのも非常に困難でした。アメリカ先住民の方々は、映画などでどのように表象されてきたのかを考えると、外部の取材に対して警戒するのは当然です。とにかく、信頼できる人から紹介してもらう必要があったのですが、それにはかなりの時間がかかりました。私たちを先住民の方々とつないでくれたのは、映画にも登場する考古学者のトム・マルシューさんです。彼は30年近く先住民たちと仕事をしているので豊富な人脈を持っているんです。
――考古学者のトムさんもあの土地の土壌汚染の除去などに関っているのですか?
ルスティック:彼は原爆関係には直接関わりはないですが、何かが発掘された時には専門家が入って、重要なものだった場合は先住民にお返しするということも行いますよね。トムさんはそういう交渉を担う立場です。そして、発掘された骨や昔の品物などが放射線に汚染されている場合は返すこともできないので、土壌の汚染はそういう文化的な作業も複雑にしているんです。