『雪山の絆』はアメリカ映画の変革を促す一作に 細部に垣間見えるJ・A・バヨナ監督の意図
航空機がアンデス山脈に墜落し、生存者たちが雪山で72日間を生き抜いたという、1972年の「ウルグアイ空軍機571便遭難事故」。その凄絶なサバイバルの軌跡と、奇跡の生還を遂げたエピソードは、いまも語り継がれ、数度の映画化がなされている。
この度、Netflixで配信されている『雪山の絆』は、『ジュラシック・ワールド/炎の王国』(2018年)や、スマトラ島沖地震を題材とした『インポッシブル』(2012年)を手がけている、スペイン出身のJ・A・バヨナ監督による、新たな「ウルグアイ空軍機571便遭難事故」の映画化作品だ。
ウルグアイからチリに向かっていた空軍機の乗客は、遠征試合を控えていた学生のラグビーチームと、その家族や知人たち。とくに選手たちは集団での国外旅行に浮かれていたが、悪天候のためにアンデス山脈の切れ目を飛んでいた機が雪山に接触し、機体が大破しながら雪の中に墜落した。この時点で乗客の40人中、生存していたのは28名のみだったという。
墜落した場所は、国境付近の標高約4200メートルの地点だった。季節は10月で、周囲は険峻な山々に囲まれている。極寒の環境下で身を寄せ合って救出を待つしかないのだ。しかし、じつは飛行していたとき、悪天候の影響からパイロットが飛んでいる位置を通信で誤って伝えていたため、事故後に捜索隊は見当違いの遠い場所を探してしまっていた。一刻も早く助け出されることを祈りながら待っていた生存者たちだったが、ラジオ放送で捜索が中止されるという情報を耳にして、絶望感にさいなまれるのだった。
手元にある食料は、少量のお菓子とチョコレート数枚、ワインしかない。標高が高く雪に包まれたなかでは、新たな食料を得ることもできない。救援に期待できず、死が迫っている状況で、生存者たちは生き延びるために、すでに亡くなった乗客の遺体の肉を食べるかどうかの決断を迫られる。
本作の描写は、実話を基にしているため、過去に同じ題材を扱ったイーサン・ホーク主演の映画『生きてこそ』(1993年)と、大筋では変わっていない。しかし、細かい部分に違いがあり、そこに作り手の意図が垣間見えることも確かである。
72日の間生き延びた人々は、遺体を食べることで飢えをしのいだわけだが、そこに至るまでに、生存者たちの間で倫理的なディスカッションが交わされている。“死者の肉体には、すでに魂は無いので、食べたとしても冒涜にならないのではないか?”“神は試練を与えてわれわれを試しているのではないか?”本作でも話し合いがおこなわれるが、『生きてこそ』と比べると、乗客の倫理的な葛藤が、それほど前に出てきてはいない。
『生きてこそ』では、終幕時にシューベルト作曲の『アヴェ・マリア』が流れていたように、聖母マリアへの崇拝の念が示されている。これは事故に遭った人々が、ウルグアイで最も信者の多いカトリック教徒であることが念頭にあると思われる。そして、良心の葛藤や救出の奇跡が、少なからず信仰と結びつけようとしていると感じられる。それは、事故に遭った人々のパーソナリティを考えれば、もちろん不自然なアプローチではない。