『セクシー田中さん』は“生きる理由”を教えてくれる メイクアップした木南晴夏の美しさも
田中さん(木南晴夏)が笙野(毎熊克哉)の母親・悦子(市毛良枝)と鉢合わせ、急接近する『セクシー田中さん』(日本テレビ系)第8話。
笙野の家族といえば、かつて結婚を意識した元カノ・実花(日比美思)を実家に連れて行った際のことが思い出される。悦子がずっと忙しそうに休む間もなく台所に立ち続け、頑固な父親・正晴(螢雪次朗)はそれを当然のこととして受け止めているかのようで感謝の言葉一つ口に出さない。
田中さんの実家に、朱里(生見愛瑠)や小西(前田公輝)、笙野がお邪魔した際には、初めての娘の友達の訪問に嬉しさ余って手料理を振る舞いすぎてしまう父親(佐戸井けん太)の張り切った姿が微笑ましく、笙野家とは正反対の光景が繰り広げられていた。
そういえばベリーダンスのショーを前に弱気になる田中さんに両親は“完璧”な娘ではなく“ありのまま”の娘の姿が見たいのだと当然のことのように話していた。
「失敗したって良いじゃないか。僕たちはね、上手に踊る京子を見にきたんじゃないんだよ」
「そうよ、頑張って一生懸命練習して、逃げ出したいのに逃げ出さずにここにいる今日の京子を見にきたの」
田中さんは自分に自信が持てず自己肯定感は低いものの、だからと言って誰かを巻き添えにしたり、他人の足を引っ張ろうとしたりしない。あまりに自分のことを過小評価しがちだが、ひねくれたり卑屈になったりはしていない。それにはあれだけ大きな愛情で包み込んでくれる両親の存在が大きく関係しているのではないだろうか。
それに対して、笙野家は父親が幼い笙野の喜怒哀楽に寄り添おうとせず「男なんだから泣くな」と画一的で乱暴な言葉をかけ続け、彼から感情を取り上げてしまった。我が子がそんな目に遭っているのを止めることができなかったと悦子はずっと後悔を抱えていた。親くらいは「結果」だけでなく「過程」を見てほしいし、「完成品」だけでなく「途中経過」の未完成の現在地も認め目を向けてほしいものだと思ってしまう。