ポン・ジュノの才能の原点に迫る 『ノランムン』が映す映画を愛する若者たちの青春時代
当初、過去の名作映画を研究しようにも、書籍や資料の写真を見て内容を想像するしかないような状況だったというが、その苦境を脱することができたのは、家庭用ビデオデッキやビデオカメラの登場だったという。若きポン・ジュノは、ダイヤルを使って映像をビデオのコマ単位で操りながら表示できる「ジョグシャトル」の恩恵によって、『ゴッドファーザー』(1972年)の細かなシーン研究をおこなった。ジュノ監督の優れた演出のベースには、このようなマニアックな探求があったのだ。
他にもジュノ監督は、黒澤明監督の代表作の一つ『羅生門』(1950年)や、斬新な演出の数々によって映画史を変革したジャン=リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』(1960年)、ヴィットリオ・デ・シーカ監督が社会の下層の生活を描いたネオレアリズモの名作『自転車泥棒』(1948年)を引き合いに出す。なんということだろう……前述したようにジュノ監督の映画は、娯楽性や前衛的な演出、社会的なテーマが混在した作風を持っている。その才能の基になったものが、ノランムン時代に観ただろう、この3作によって、ある程度まで説明できてしまうのである。
そればかりではない。ノランムンでは、哲学者のジル・ドゥールズ、ジャック・デリダなどにまつわる「ポスト構造主義」や、ロラン・バルトの「記号論」にまつわる映画理論についての議論が活発に交わされていたという。自分語りになって申し訳ないが、ジュノ監督の下の世代にあたる筆者自身も、学生時代に一通りこれらの思想や理論に感化され、頭でっかちな見方で作品を観たり語ったりする毎日を送っていた。そんな筆者が、ジュノ監督の作品に触れて、その新しさに興奮することになるのは必然的なことだったのだと、本作を目にして理解することができた。
日本の漫画が好きで、漫画家になることも考えていたというジュノ監督だが、そんな親しみやすい感性に加えて、このような理論的武装と、それが反映された知的な作家性があったからこそ、世界の映画祭を席巻していくことになったのだ。批評家、評論家が理論や思想にこだわるのは当然だが、クリエイターもまた、このような下地を固める時間があってこそ、さらに遠くまでジャンプすることができる。そして人は、得てして青春時代に出会ったものが人生のテーマになる。ジュノ監督にとっても、このノランムンの時代こそが、作家性を育むのに重要だったのである。
そして、ノランムン時代に彼が仲間とともにビデオカメラで撮った人形アニメ作品『ルッキング・フォー・パラダイス』の貴重な映像も、本作で確認できる。パラダイスを夢見るゴリラを主人公にした物語は、ひたすら映画を観て語り合う日々を過ごしながら、人生で何をやるべきか、自分の道を探しているノランムンの若者たちの境遇とも重なっている。就職先を探すべき時期に、仲間とゴリラのアニメを作っていたことで母親を心配させたとジュノ監督は語るが、作品が遊びの延長であるからこそ、作品には彼のユーモア感覚やこだわりが詰め込まれることになったのである。
ノランムンが生んだ世界的巨匠、ポン・ジュノ監督はもちろん、その後映画にかかわる仕事をしている者、映画とは関係のない業界で活躍した者を含め、この小さな映画サークルで青春を過ごした人々にとって、そこでの体験は人生のなかでかけがえのない瞬間となったことだろう。そして同じ韓国で同時発生していた、人生の救いや夢を映画に見出した人々こそが、韓国映画を、いまここまでの存在にまで高めたということも理解できるのである。その核にあるのは、若い時代のひたすらな情熱や、純粋な遊び心、自分を高めていく意志なのだ。それを共有する仲間たちがいたということは、本当に幸せなことだ。
■配信情報
『ノランムン:韓国シネフィル・ダイアリー』
Netflixにて配信中