ポン・ジュノの才能の原点に迫る 『ノランムン』が映す映画を愛する若者たちの青春時代
いまや世界から大きな注目を集めるようになっている韓国映画。そんなブームの波の中心で存在感を放っているのは、言わずと知れたポン・ジュノ監督だ。新作を撮るたびに多くの映画賞を獲得し、『パラサイト 半地下の家族』(2019年)では、ついにアジア初となるアカデミー賞作品賞を受賞するという歴史的快挙を成し遂げた。
ジュノ監督の映画が凄いのは、観客を沸かせるような娯楽性や豊かなユーモアがある一方で、芸術性や社会的なテーマにおいても優れた表現が見られるところだ。単に作品のなかにさまざまな要素があるというだけでなく、それらを描く才能がそれぞれに突き抜けているのである。まさに、かつて世界を席巻した黒澤明監督の再来であり、同時にジャン=リュック・ゴダール監督の再来ですらあると思える。紛れもなく、当代一といえる巨大な映画作家だといっていいだろう。
配信が始まっている、Netflixドキュメンタリー『ノランムン:韓国シネフィル・ダイアリー』は、そんなポン・ジュノという才能が、どのように出来上がっていったか、その一端が解き明かされることになる。
本ドキュメンタリーの内容は、映画に対する熱気が高まりつつあった1990年代の韓国において存在していた小さな映画サークル、通称「ノランムン」のかつての活動を紹介するもの。そこに所属していたポン・ジュノをはじめ、映画を愛する若者たちの青春時代を、当事者たちの言葉によって振り返っていく。
アジア映画といえば、長らく存在感を発揮していたのは日本や香港、中国など一部の国が代表的だと考えられており、かつて韓国は他のアジア諸国のように、一部の傑出した作品がコアな映画ファンの間で楽しまれていた状況があった。1970年代には「漢江(ハンガン)の奇蹟」と呼ばれる、めざましい経済発展を背景に、韓国の若い作家たちによるムーブメントが起きつつあったものの、同時に当時の軍部による独裁政権が自由な表現の障害ともなっていた。
その後、1987年の「民主化宣言」を経て、韓国映画が大きく飛躍する時代への下地が出来上がっていく。本ドキュメンタリーでポン・ジュノは、自身が所属したノランムンについて、「韓国映画躍進の背景を訊ねられると、“韓国でシネフィルが生まれた最初の時代にノランムンがあった”と説明しているんだ」と述べている。
そんなノランムンは、当時大学院にいたチェ・ジョンテ氏の呼びかけによって発足したという。大学で映画の勉強をしたかったが、実践的な指導を受けられる環境がなく、映画好きの仲間たちで独自に研鑽を積むことにしたとジョンテ氏は語っている。そしてサークルを、参加者の希望の進路に応じて便宜上、批評分科、演出分科、シナリオ分科というカテゴリーに分け、情報交換をしたり議論をしたり、会報を作ったりなどの活動をおこなうようになるのだった。
韓国語で“黄色いドア”という意味の「ノランムン」という名前は、事務所の家具を塗るときに、たまたま黄色のペンキがあったため、ドアも黄色に塗ったことで生まれたという事実も明かされる。映画を愛する若者たちは、この黄色いドアを開けて集まり、映画について熱く語り合う青春時代を過ごしたのだ。その面々には、女性も多かった。好感が持てるのは、一人ひとりが真面目に映画を愛している同志だということだ。