『こっち向いてよ向井くん』は歴代屈指の“ヒューマンドラマ”だ 恋愛への鋭い批評にも

『向井くん』は歴代屈指の“ヒューマンドラマ”に

 このところ、人間関係に疲れた現代人の間に「恋愛至上主義はもう古い」という空気がますます充ちている気がする。当然その「時代の空気」はエンターテインメントにも反映される。

 四半世紀前までドラマ界のセンターに君臨していた「王道の胸キュンラブストーリー」は鳴りを潜め、ここ数年は「一見恋愛ドラマに見えて、もっとその先の『人間』を掘り下げた奥行きのあるドラマ」が増えている。なおかつ、そういう試みをしたドラマには名作が多い。9月13日に最終回を迎える『こっち向いてよ向井くん』(日本テレビ系)も、「恋愛ドラマのふりをしたヒューマンドラマ」の名作の中に、間違いなくカウントされるはずだ。

 Tシャツメーカーで働く会社員の向井悟(赤楚衛二)は、大学のボルダリングサークルで出会い、付き合っていた元カノ・美和子(生田絵梨花)にフラれて以来、10年間彼女がいない。美和子との恋の“消化不良”をこじらせたまま33歳になり、ふと周りを見渡せば同級生や同期は結婚して子どもを授かり、自分とは違うライフステージを歩んでいる。

 10年ぶりに何度か「彼女チャンス」が訪れるも、持ち前の「恋愛偏差値ド底辺」ぶりを発揮して、いずれの恋も実らない。同窓会で美和子と再会し、疑似恋愛に発展するが、結局「とまり木」にされて終了。ことあるごとに自らの振る舞いを、飲み友達の洸稀(波瑠)に赤ペン先生よろしくザクザクと添削されてしまう。

「あ〜もうわかんない!」
「ダサすぎる! 俺っていつからこんなダサい奴になっちゃったんだろ? もしかして昔から?」

 本作でゴールデンプライム帯のドラマ初主演となる赤楚衛二が、何をやってもズレていて冴えない“やさ男”を好演している。この作品で赤楚は、新たなコメディセンスのゾーンに入ったのではないだろうか。

 「恋愛迷子たちのラブストーリー」。これは毎週、次回予告で向井くんのナレーションが発する本作のキャッチコピーだ。しかし前述したように、この作品は「恋愛ドラマのふりをしたヒューマンドラマ」なので、「ラブストーリー」と謳いながら「恋愛」そのものが主題ではない。社会人として脂が乗り、社内での責任も生じてきて、そろそろ自分の人生と真面目に向き合わなければ、と思いはじめた33歳の男・向井くんが、「恋愛って何?」「結婚って何?」「仕事って何?」「人生って何?」と考えに考え、あがく物語だ。

 結局、恋愛も結婚も「人間関係」なのである。多様化し、混沌とした現代社会で、どうやったら誰も傷つけることなく、自分も相手も心地よく、幸せでいられるのか、という非常に難しい命題に挑んでいる。つまりこのドラマは「ラブストーリー」と謳いながら、「恋愛」を批評しているのだ。本作の名物ともいえる、同じシーンでの「一人称視点の切り替え」が象徴するように、人の数と同じだけ、恋愛、結婚、人間関係、価値観、考え方の違いがある。それらを並べて鑑賞し、討論しているかのようなドラマだ。

 「ラブストーリー」の「ラブ」が含意するものにもうひとつ、「人間愛」もある。「恋愛迷子たち」の「たち」が象徴するように、このドラマは、不器用で不完全で矛盾を抱えて生きる人たちの姿が瑞々しく描かれた群像劇だ。そして、どんな生き方をも肯定する、人間讃歌と言える。

 過去に素の自分を見せて失恋した経験がある洸稀は、それ以来、完璧に演出した自分しか相手に見せない「おいしいとこ取りの恋愛」しかしてこなかった。会社の同僚で、向井くんの憧れの先輩でもある環田(市原隼人)と恋愛関係に発展したが、環田から「結婚を前提に真剣に付き合いませんか」と一歩踏み込まれた途端、引いてしまった。でも心の奥底では、一緒にいて安らげる相手を求めていたりする。向井くんの恋愛偏差値の低さにはド正論で「赤ペン」を入れる洸稀だが、こと自分の恋愛に関しては、理論武装したつもりでもどこかに「ほころび」がある。人は傷つきたくないから、武装する。その鎧が擦れて、誰かを、そして自分を傷つけてしまうこともある。

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