『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』徹底考察 第1作との深い関係
トム・クルーズが製作、主演を務め、TVドラマ『スパイ大作戦』を映画化した大ヒットシリーズ『ミッション:インポッシブル』。その7作目となる『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』は、27年にも及ぶシリーズ史上、初めての前後編2部作のスタイルを導入し、これまで以上のスケールの敵に挑む、主人公イーサン・ハント率いるIMF(インポッシブル・ミッション・フォース)チームの壮大なミッションの一部を描く一作となった。
だがその内容は、前作『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』(2018年)同様、またしても複雑かつ、何か異様な雰囲気を放つものとなっている。ここでは、その裏に何が隠されているのか、そして何を描こうとしていたのかを、できるだけ深く、じっくりと考えていきたい。
シリーズ最大の脅威として本作に登場するのは、「“それ”(The Entity)」と呼ばれる、デジタルネットワークに存在し、あらゆるシステムに侵入することのできる人工知能。従来のコンピューターをはるかに超える演算能力が生み出す“思考”を有し、デジタル機器を介して人々の感情や行動に影響を与えることができるという“情報兵器”だ。
たしかに人間の内面や行動パターンを完全に解析できるほどの情報処理能力があれば、常にその心理を先回りした情報を対象に与えることで、相手を思い通りに誘導するといったことは、たやすいのかもしれない。先頃の「アメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件」に代表されるように、われわれはすでにSNSで呼びかけられる煽動が、たとえデマが含まれていたとしても群衆をいとも簡単にコントロールし、犯罪を誘発までさせるといったプロセスを現実に目の当たりにしている。
そのような実例を鑑みれば、より周到な情報の操作によって人々の心理を煽り立て、その操る対象が何万人、何千万人のレベルまで及べば、もはや国家を転覆させたり、各国政府までも思うままに動かして、世界支配も可能となるように思えてくる。いまや世界中の人々がデジタル機器やアプリケーションソフトをあらゆる経済活動や娯楽に利用し、その利便性に依存している状態。実際にわれわれが住む現実の世界で、支配の下準備は完了しているのだ。そう考えれば、本作で暗躍する“それ”は、きわめて現代的でリアリスティックな兵器だと考えられる。
さらに本作に登場するのは、アメリカの情報機関に属する実力者が形成する「コミュニティ」と呼ばれる裏の権力。本作の設定が興味深いのは、この情報兵器に対して、コミュニティと、CIA(アメリカ中央情報局)の下部組織であるイーサン・ハントが率いるIMFチームとの考えが決定的に異なるということだ。
各国の政府は、“それ”を協力してなくそうとするのでなく、それぞれがその強大な力に魅了され、秘密裏に奪取を狙っている。リアリズム(現実主義)で考えるならば、アメリカもまたその争いに参加しなければならない……そんな考え方を代表する存在が、『ミッション:インポッシブル』第1作(1996年)以来、27年ぶりに登場した、情報機関の要人の一人、ユージーン・キトリッジ(ヘンリー・ツェニー)である。
キトリッジは、かつてあのプラハのレストランでイーサンに高圧的に迫ったように、本作では持論への同調を迫る。「いわゆる“大義”のために戦う日々は終わりだ。君はけして存在しない理想を守るために戦っている。いま、真偽の概念を何世紀にもわたってコントロールするチャンスなんだ」と。つまり、世界中の人々をコントロールできるほどの兵器が生まれてしまった以上、アメリカが悪の汚名を背負ったとしても、その力を独占することで世界の支配者になることが“リアリズム”として必要になってくるということなのだ。
とくに最近はロシアが虚偽と思われる理由によってウクライナに武力侵攻し、アメリカでは先述の議会襲撃事件を煽動していたとして元大統領が提訴される事態に陥るなど、大国の権威やモラルに信用がおけなくなってきている状況がある。それはまさに力の行使こそが“リアリズム”であり、真偽を操ることこそが“リアリズム”であるかのような振る舞いである。本作が描くアメリカの暴走は、そんな悪しきリアリズムが蔓延る混迷の時代に、自身が「ローグ・ネイション(“ならず者”国家)」と化してしまうのではないかという、内側からの強い不安感から発生しているのかもしれない。
IMF(インポッシブル・ミッション・フォース)は、そんな権力の命を受け兵器を奪取する立場にあるのにもかかわらず、これを拒否して独自の行動をとることで、またもや当局から狙われる状況に陥ってしまう。これまでも度々CIAの意向とは異なる方向で世界の平和維持に貢献してきたことで、もはやIMFはアメリカの情報員集団として一線を画する存在になっているのである。そんな常識外れの状況を耳にして、アメリカ合衆国国家情報長官であるデンリンガー(ケリー・エルウィズ)は笑わずにおれない。
だが権力が理性を失くし悪に走ったとき、誰かが理性をはたらかせることなくしては、組織や市民は悪に加担してしまうことになる。このように、誰かの意見や世の中の流れに盲目的に従うのでなく、自分自身の頭で考えて判断し、行動することが、非常時にはとくに必要になるのではないか。そのような一種の哲学が、本作のイーサン・ハントに投影されていると考えられるのである。だからこそイーサンは、「“それ”(The Entity)」の力にも抗い、戦うことのできる、現代において数少ない存在として描かれていると見ることができる。