『だが、情熱はある』は“席”への執念を描く 表現者の想いは『浅草キッド』『劇場』でも

『だが、情熱はある』は“席”への執念を描く

 現在放送中のドラマ『だが、情熱はある』(日本テレビ系)がとにかく面白い。King & Princeの髙橋海人とSixTONESの森本慎太郎が演じる、若かりし頃の若林と山里の「そっくり度」や、ネガティブでありながらも真っ直ぐな夢への姿勢には、毎話目が離せなくなる。しかし、観ていてどこか身につまされる思いとなるのも、このドラマに惹きつけられる理由のように感じている。

 それは賞レース、舞台という“場所”を取り合っているシーンだ。テレビへの出演権、卒業ライブのオーディションなど、『だが、情熱はある』では、とにかく舞台をかけた実力勝負のシーンが多々描かれる。舞台というと限定的になるが、言葉を「仕事」に置き換えれば、それはフリーランスライターとしての自分の境遇でも感じることである。仕事や夢というものは全ての人に希望のポジションが与えられるわけではない。つまり、時には誰かの「席」を奪わなければ叶わない夢もあるだろうし、自分が奪われる立場になるかもしれないというのもまた然り、ということだ。

 だからこそ、全員が“売れる”世界ではないことが赤裸々に描かれている本作を他人事としてみられない自分がいるのだろう。フリーランスに限らず、会社の昇進に例を入れ替えてみても、同じことが言えるように思う。

 差し伸べられたチャンスをしっかりと掴むための嗅覚の大切さだけでなく、夢のためになかなかうまくいかない日々を『だが、情熱はある』は丁寧に描く。過去作を振り返れば、本質的に同様のことを描いている作品がある。

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 『浅草キッド』では、舞台に魅せられた人物として、浅草フランス座でエレベータボーイとして楽屋で寝泊まりしながら働くビートたけしと歌手に憧れるストリッパーの千春が描かれる。誰も真面目に観てくれる観客すらいない会場でビートたけしが漫才をするシーンや、歌ではなくストリップを求める観客に落胆する千春を観ていても、夢を叶えられる人がほんの一握りであることは想像に難くない。

 それでも、舞台というものは一部の人にとっては人生を賭けてでも挑みたくなるような、強烈な“何か”があるのだとも感じさせられた。ものまねパブで前説の仕事をしながらステージへのチャンスを掴もうともがく若林と春日も、劇場という場に魅せられていたのだろう。

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