『ロリエ・ゴドローと、あの夜のこと』グザヴィエ・ドランが“恐怖”で描いた抑圧的な社会
カナダ・ケベック州の平凡な郊外の街。深夜、物音を聞きつけた女性が外の様子を伺うと、そこには殴られ傷ついた半裸の男性がいる。そして視線を上に向けると、レインボー・フラッグが放火され、いまにも燃え落ちようとしている……グザヴィエ・ドランの新作『ロリエ・ゴドローと、あの夜のこと』は、そんな極めて不穏なシーンから始まる。
ドラン監督らしい流麗なドラマ作品を期待して観始めた観客は、この不吉なイメージに意表を突かれるはずだ。自身にとって初の試みとなるこの全5話のテレビドラマにおいて、監督はいくつか新しい演出に挑戦している。ジャンル作品的な表現への接近はその一例だ。幻影などの超自然的な描写、不意に炸裂する暴力描写などを交えながら、監督は登場人物の感じる恐怖や不安を提示していく。
だがなぜ、このような恐怖描写が必要だったのだろうか。もちろん「サスペンスとして不穏な雰囲気を高めるため」という理由は大きいだろう。ミステリアスな小道具や各話に仕込まれたクリフハンガーなど、テレビドラマの「お約束」と戯れながら、ドラン監督はラルーシュ家に隠された「謎」を手際よく紐解いていく。
鮮烈なフラッシュバックによって、過去と現在が交錯するスリリングな語り。ハンス・ジマー&デヴィッド・フレミングによる緊張感のあるスコア。この作品が基本的には家族の謎を巡るサスペンスとして構成されているのは明らかだ。
しかし、そのような理由のみで劇中の恐怖描写の存在を説明し尽くせるとはいえない。いくつかのシーンは露骨なまでにサスペンスの領域を外れ、ほとんどホラーのようになっているからだ。
ドラン監督自身が演じるラルーシュ家の末っ子・エリオット周りの描写は特に壮絶である。薬物中毒のリハビリ施設から出所したばかりの彼は、「普通」の世界に馴染むことができない不安と混乱から、衝動的に自身の額に大きな傷跡をつくり、公の場で吐血することを夢想する。人物の内面の問題が肉体の変容を通し表出するさまは、まるでボディホラーのようだ。
また、長男・ジュリアン(パトリック・イヴォン/イライジャ・パトリス=ボードロ)を追い詰める「謎のバイカーの男」の存在も不気味なものがある。家族に対して乱暴な言動をみせ、タフに振る舞おうとするジュリアン。だが一方で、彼はなんらかの不安を常に感じているようだ。そして彼はまるでその不安が形をとったかのような、バイカー姿の不審な男に行く先々でつきまとわれることになる。この一連の流れもまた、サイコホラーのような恐ろしさに満ちている。
ドラン監督はこのように、サスペンスとしては明らかに過剰な「恐怖」の存在を、この作品のそこかしこに刻印している。しかし、なぜ彼はそのような表現を選択したのだろう?