『ブラックアダム』は新たな方針と外れたものに? 今後のDCコミックス映画の行方を占う

『ブラックアダム』から考えるDC映画の行方

 ワーナー・ブラザースのDCコミックスを原作とする大作映画シリーズが、激動の時を迎えている。ヒーロー大作映画が映画界で最も大きなビジネスとなる状況のなか、新CEOデヴィッド・ザスラフのもと、ジェームズ・ガン監督とプロデューサーのピーター・サフランが、新設される「DCスタジオ」のCEOに就任することが発表。これまで製作を統括してきたザック・スナイダー監督の構想は、事実上、終了を迎えることになる。

 それだけでなく、ほぼ完成していたとされる『バットガール』が公開中止になり、『ワンダーウーマン』シリーズの第3弾企画が却下され、さらにはスーパーマン役のヘンリー・カヴィルが降板することを表明するなど、これまでのファンの間でも、その強引ともいえる改革方針が物議を醸している。果たして、ザスラフ体制、ジェームズ・ガン監督らによる改革は、強権によってワーナー・ブラザースに成功をもたらすことができるのか。

 その不確定的な未来に巻き込まれ、大きな影響を受けることとなった作品の一つが、先日公開された『ブラックアダム』である。ここでは、今後のDCコミックス映画の行方を、本作『ブラックアダム』の内容を振り返りながら、いま一度考えてみたい。

ブラックアダム

 もともと、原作コミックでは“ヴィラン(悪役)”として認識されている“ブラックアダム”。『スーサイド・スクワッド』(2016年)などの例があるように、ヴィランをダークヒーローとして主役に据えるのは、もはや意外な仕掛けではなくなってきている。このキャラクターをドウェイン・ジョンソンが演じることは、交流イベントを通じて、ファンの間では以前から噂され、期待されていた。今回、ついに満を持して、彼の演じる強大な存在がスクリーンに登場したかたちだ。

 俳優としての絶大な人気はもとより、ドウェイン・ジョンソンが超パワーのキャラクターを演じることの説得力には、ものすごいものがある。そのたくましいマッチョな体型は現実離れしていて、まさにアメリカンコミックから抜け出したような印象がある。むしろ本作では、圧倒的なパワーを得ていない状態の姿を特殊効果で縮ませて見せているくらいである。

 物語は、驚くほどに単純だ。古代遺跡が点在する国「カーンダック」で、国を実効支配している軍事組織「インターギャング」と、市民による抵抗組織が、強大な力を持つ古代の王冠を奪い合い、一緒に封印されていた戦士「ブラックアダム」を目覚めさせてしまうことで、ストーリーは動き出していく。そしてここからは、ほとんどアクションシーンが連続し、世界的なヒーローチーム「JSA」の乱入もありながら、王冠や少年の安否をめぐってぶつかり合いが描かれていく。

ブラックアダム

 このように、圧倒的な迫力で単純明快なバトルを見せていくという態度は、あまりに徹底されていて、ある意味ではアヴァンギャルドですらあると感じられる。ここで思い出すのが、ザック・スナイダーが監督した、『マン・オブ・スティール』(2013年)や『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(2016年)のような、神話的でダークな世界観だ。それは、これからDCコミックスの映画シリーズを統括していく、ジェームズ・ガン監督の『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』(2021年)で見せたカオティックな光景とは一線を画す美学であり、今後のDCスタジオの方針とは異なるスタイルをとっている印象を受ける。

 もちろん、ザック・スナイダー型の作品づくりには、映画作品として弱い部分もある。それは、圧倒的なパワーを持った、人間とはあまりにもかけ離れた存在であるヒーローたちの、文字通り“雲の上の戦い”の戦いを描くことについて、ヒーロー映画ファンとはいえない一般的な観客を惹きつけられるのかということだ。これは、あくまでヒーローを庶民感覚と大きく乖離させないように腐心していると感じられる「MCU」とは真逆のアプローチなのである。しかし、このような世界観が、MCU作品との差異をかたちづくっていたのも確かなのだ。

ブラックアダム

 本作『ブラックアダム』で最も驚かされるのは、舞台となる「カーンダック」という架空の国の存在の描き方だ。その光景が示すように、どうやらそこは白人に武力によって支配されている中東の地であるようだが、どうやら現実の世界でイスラエル軍によって多くの地域が占拠されているパレスチナの状況を描いていると見ることができる。そして、検問や不当逮捕、暴力などで不自由な状態にさらされている、昔からの市民たちが怒りを感じている姿も、現実のアラブ人とユダヤ人の関係を想起させるものだ。

 もともと、ハリウッドの映画会社の経営陣は、この「パレスチナ問題」において、イスラエルの肩を持つ者が多く、ユダヤ人がアラブ人に危害を加える描写をハリウッド映画では表現することが難しいといわれていた。しかし、本作では実際の国名を出してないとはいえ、イスラエル軍による弾圧を思わせる構図をはっきりと描いているのである。しかも、予算をかけた娯楽超大作でだ。これは、脚本陣、製作陣による快挙といえるのではないか。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる