『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』に刻まれた“3つの進化”
アメリカ映画なのにアメリカは蚊帳の外である。ブラックパンサーはアフリカの秘境で高度な科学技術をもつ架空の王国ワカンダの王であり、守護戦士であって、シリーズ第2作『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』の物語の大半がワカンダ王国の領内で展開され、アメリカ合衆国はほんの申し訳程度にしか登場しない。そしてもうひとつ、今回はワカンダ王国の対立軸として、海底王国タロカンという勢力が出てきて、こちらは16世紀に「陽の沈まぬ帝国」を打ち建てたスペインの征服によって地上を追われたマヤ文明の末裔という設定となっている。タロカン戦士たちの話す言語は本物のマヤ語なのだそうで、キャストは、メキシコ国内に残存するマヤ人の末裔である語学コーチのもとで特訓したとのことである。
いくらなんでもこれでアメリカ映画と言えるのか。もちろんディズニー/マーベル2022年の全社的な勝負作なのだから、ハリウッド映画そのものと言っていい。最近のMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の戦略は従来路線からの離脱を画策していることはよく知られている。特に、怪力に物を言わせたアングロサクソン男性をピラミッドの頂点とするヒーロー像の解体である。MCU開始以前に製作されたウェズリー・スナイプス主演の『ブレイド』3部作(1998~2004年)はマーベル映画における黒人ヒーローのパイオニアというべきシリーズだった。しかしこの3部作はいずれも白人男性監督が作ったものであり、また内容的にも黒人ヒーローとしての意義が大きいとは言えない(筆者のお気に入りのシリーズなのだが)。マーベル映画の最高傑作との呼び声も高い『ブラックパンサー』(2018年)こそ、黒人ヒーローを前面に押し出した真のパイオニア的作品である。
そして第2作『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』はさらに進化を推し進める。
進化その1
「ヒーロー不在のヒーロー映画」という逆説を力技で押し切ったこと。2020年8月にブラックパンサーを演じたチャドウィック・ボーズマンが大腸癌で死去したことにより、製作陣はこれまで準備していた第2作の構想をストップしなければならなくなった。当然のことながら第2作のすでにできあがったシナリオはチャドウィック・ボーズマン中心の物語として書かれたものだったからである。製作陣がチャドウィック・ボーズマンの代役を立てずに第2作の練り直しを始めたとき、「ヒーロー不在のヒーロー映画」というジャンルならざるジャンルが誕生したように思える。
進化その2
第1作を彩ったワカンダのメインキャラクターたちは、ジャバリ族の族長エムバク(ウィンストン・デューク)を除けば全員女性ということになる。ブラックパンサー=ティ・チャラの母であるアマンダ女王(アンジェラ・バセット)、妹のシュリ王女(レティーシャ・ライト)、元恋人のナキア(ルピタ・ニョンゴ)、そして王室親衛隊「ドーラ・ミラージュ」の隊員たち(オコエ隊長、アヨ、アネカetc.)。女性が画面を占拠するという事態は、チャドウィック・ボーズマン喪失の悲しみにあっては次善の策として格好のものとなる。
MCUは近年、人種不均等の是正に加えて、ジェンダー不均等、ハンディキャップ不均等の是正にも取り組み始めている。『キャプテン・マーベル』(2019年)、『ワンダヴィジョン』『ブラック・ウィドウ』『エターナルズ』(以上、2021年)、『ミズ・マーベル』(2022年)とMCU作品にぞくぞくと女性主人公リストを増やしているほか、『エターナルズ』ではMCU初の同性愛者のスーパーヒーロー、ファストス(ブライアン・タイリー・ヘンリー)や聴覚障がいのスーパーヒーロー、マッカリ(ローレン・リドロフ)も登場している。そんな中で、本作はついにアフリカ人女性の集団体制によるヒロイズムというものを実現している。
元来、ワカンダでは王が崩御したあとは、力自慢の男性たちによる決闘の優勝者が次の王に即位するという設定になっていた。前作『ブラックパンサー』ではティ・チャラvsエムバク、ティ・チャラvsキルモンガーの2度も決闘大会が描かれ、腕力重視の父権性があまりにも擁護されてしまっていた。人種不均等の是正に大きな足跡を残す歴史的作品『ブラックパンサー』も、ジェンダー不均等については依然として保守性に留まったのである。ところが、ブラックパンサー=ティ・チャラの危篤シーンで幕を開ける『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』にあっては、王位選抜のための決闘大会はなしくずしに忘れ去られ、母、さらには妹と、女性王族がなんの疑問もなく王位を継承していくさまが描かれる。腕力重視による父権性の残存がこのシリーズからついに除去された瞬間である。