『すずめの戸締まり』は日本の『ノーカントリー』? 絶望を見据える新海誠監督の視線

『すずめの戸締まり』は『ノーカントリー』?

 すずめは日本を縦断する過程で、日本各地に開いてしまった「後ろ戸」を閉じていく。後ろ戸を閉じることで、災害の原因であるミミズを封印することができるのだ。すずめは戸を閉め鍵をかけることで日常を守り、市井の人々を死から守る。一方、アントン・シガーは異常人格の殺し屋であり、死や犯罪といった概念そのものである。片手に屠殺用のエアガンを持っており、それを使って人を殺す。また、エアガンには別の用途がある。エアガンは作中で何度も「鍵を壊すもの」として使われる。シガーはエアガンで鍵を壊し戸を開けることで日常に闖入し、人々に死をもたらすのだ。この「戸を閉め鍵をかけるすずめ」と「鍵を壊し戸を開けるシガー」というのは明確に対立構造として成立する。これをして「新海誠監督はアントン・シガーを元にして岩戸鈴芽を作った」などという妄言を吐くつもりはない。だがこれは通底するテーマを描こうとした結果の必然だと思う。両者ともに「国」や「土地」「死」を描く過程で市井の営みや家族を描く必要があり、その象徴として戸が使われている。そしてその戸に対する扱いの違いこそ、『すずめの戸締まり』と『ノーカントリー』の違いである。

すずめの戸締まり

 『すずめの戸締まり』はエンタメであり、ワンダーがある。現実世界にはないワンダーだ。もし自分に大地震を止められる機会があったら、誰だって止めようと思うだろう。だって震災は最低だ。なければどれほど良かったか。そう思わされた人は少なくないはずだ。だが、すずめはそれができる。戸を閉め鍵をかけることで災害を止めることができる。一方『ノーカントリー』にはそのワンダーがない。現実世界と同じように「死」という不条理に蹂躙し尽くされ、後には絶望しか残らない。『すずめの戸締まり』はこの絶望を「戸締まり」というワンダーによってむりやり希望に変えている。これは仮初の希望のように思えるかもしれない。というか実際その通りだと思う。だけど新海誠監督は、その仮初の希望に対するわずかな拠り所として、現実世界に確かに存在するもの。(こう直截に言うと実に気恥ずかしいが)「愛」を描いている。それは叔母の環(深津絵里)とすずめの間にある愛でもあれば、芹澤朋也(神木隆之介)と草太(松村北斗)の間にある愛。それから、すずめが旅をする過程で市井の人々と結んだ「受けて」「返す」という関係性の中で育んだ愛でもある。そしてもちろん、すずめと草太の間にあるボーイミーツガールの愛も。

すずめの戸締まり

 最初『すずめの戸締まり』を観終えた時、ボーイミーツガール(恋愛)は不要なものに思えた。当初は女性同士のバディ映画だったそうで、それがまだ早いという判断によって却下されてしまった(筆者は早くないと思う。あと“男女”の恋愛にこだわる必要もないと思う)ことによる歪みに思えた。だが『ノーカントリー』を観た今ならわかる。終わりかけた国に愛すらなかったら、それこそ絶望でしかない。実際、『すずめの戸締まり』という作品が持つ絶望の深さは、『ノーカントリー』と同種の深さを持つ。だけど草太はすずめとの関わり合いの中で「生きたい」という答えを導き出すことができた。絶望を見据えてなお抱く、このせいいっぱいで意地っ張りみたいな希望が『すずめの戸締まり』という作品なのだ。自分にはこのぎりぎりの希望が、なによりも愛らしく思える。

 『ノーカントリー』には諦観めいた、ある種の達観した視線がある。現実世界の出来事を俯瞰して物語に反映しているような視線だ。一方、新海誠監督はコーエン兄弟ほど達観していない。むしろ「生きろ」ではなく「生きたい」という等身大の願いから、新海誠監督は才能ある映画監督なだけで、超然としてない……普通の人なのだと思った。そして個人的には、それがなによりも尊いものだと思う。人名と人数を記すことは避けるが、アニメーション映画監督が「市井の人の営み」を描く場合、映画の面白さとは別になんだか鼻につくことがある。しかし、『すずめの戸締まり』には不思議とそれはない。多分それは新海誠監督の“超然としてなさ”が成せる業なのではないかと思う。そして新海誠監督が我々と同じ視線に立ってあの災害を、あの絶望を正面から見つめ直し、「生きたい」「それでも希望を持っていたい」と叫んでくれるから、自分も「希望を持って行こう」と思えるのだ。

 『すずめの戸締まり』も『ノーカントリー』も国の老年期とその背景にある絶望と死を描いていて、「希望を持ちたい、持っていたい」と青く叫ぶ『すずめの戸締まり』は戸を閉め鍵を掛ける話であり、絶望の深い『ノーカントリー』は鍵を壊し戸を開ける話である。この違いは、死という絶望を見据えた先の「悼む」という行為があるかないかの違いだと思う。「いってきます」と言えば「いってらっしゃい」と返ってくるように、あるいは「ただいま」と言えば「おかえりなさい」と返ってくるように。受けて返す日常の繰り返しを愛おしく思い、そしてなくなってしまったものを悼む視線がある。『すずめの戸締まり』を観た人は、是非『ノーカントリー』も観てほしい。まず両作とも素晴らしい傑作だ。そして本質的な共通点があるというだけでなく、観終えた後ほんの少しだけ『すずめの戸締まり』がより愛おしくなるはずだから。

■公開情報
『すずめの戸締まり』
全国公開中
原作・脚本・監督:新海誠
出演:原菜乃華、松村北斗、深津絵里、染谷将太、伊藤沙莉、花瀬琴音、花澤香菜、松本白鸚
キャラクターデザイン:田中将賀
作画監督:土屋堅一
美術監督:丹治匠
音楽:RADWIMPS、陣内一真
主題歌:「すずめ feat.十明」RADWIMPS
制作:コミックス・ウェーブ・フィルム
制作プロデュース:STORY inc.
配給:東宝
©︎2022「すずめの戸締まり」製作委員会
公式サイト:https://suzume-tojimari-movie.jp/
公式Twitter:https://twitter.com/suzume_tojimari
公式Instagram:https://www.instagram.com/suzumenotojimari_official/
公式TikTok:https://www.tiktok.com/@suzumenotojimariofficial

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