『雨を告げる漂流団地』『みなさん、さようなら』など、“団地映画”の普遍性を読み解く

団地映画の普遍性と魅力

 例えば代表的なところでは市川崑監督が1962年に手掛けた『私は二歳』だ。団地に暮らす若い夫婦の間に子どもが生まれ、その視点から紡がれていく作品だが、劇中では「団地は子育てに向かない」とバッサリいく。子どもが勝手に共用階段を上っていってしまい、夫は玄関に柵を作るのに悪戦苦闘。また別の子どもが窓から転落してしまう事故など、これまでの普通であった広々として低層な住宅では起こり得ないハプニングが待っているのである。さらにその生活環境の窮屈さにも言及。たしかに、団地の発展が核家族化を助長したともいわれているぐらいだから頷ける流れだ。

 また同じ年に公開された大映制作の川島雄三監督『しとやかな獣』では、他人から金を巻き上げて生活する家族が団地に暮らしている。夫婦と成長した子ども二人の暮らしはいささか窮屈であり、エレベーターもない不便さもさることながら、それも戦中戦後の暮らしと比較すれば恵まれているものだと語られる。つまりこれが、彼らなりの“工夫を凝らした”生活というわけだ。この作品で特筆すべきは、中盤でテレビの音に合わせてリビングで踊り狂うシーン。おどろおどろしい夕陽に照らされた窓外が団地の異質さ、あるいは“理想郷”の暗部を象徴させるのである。

 その2年後に公開された千葉泰樹監督の『団地・七つの大罪』もまた、(ほとんど鑑賞機会のない作品ではあるが)団地に暮らす人々の生々しい姿を描写した作品として触れておく必要がある。理想郷と思われていた団地の暮らしというものは、物理的にも精神的にも窮屈なものであったのかもしれない。劇映画での団地を見ると、そんな気分にさせられる。こうした時代を経て、1970年代ごろからは日活ロマンポルノで『団地妻』なるシリーズが作られるようになり、団地のイメージは一変する。そして次第に、かつて希望に胸を弾ませて移住してきた若夫婦たちが定年退職するような年齢になっていくにつれ、“団地”という絶対的な世界に岐路がやってくる。

 まさしく団地が過去の遺物となり、取り壊しが進みはじめた2000年代以降。嵐の主演シリーズとしてV6の井ノ原快彦が生まれ育ったことで知られる東京・八潮団地を舞台にした『ピカンチ』シリーズのように、団地で生まれ育った若者たちの青春模様が描かれるのはひとつの理想的なパターンかもしれない。もはやそこで見えるのは、よくある郷土愛と呼べるものの対象が、団地という極めて限定的な空間に特化されていくことであり、幼い頃にそこが世界のすべてであった子どもたちが大人になって見え方がガラリと変わってしまうという儚さでもある。

 中村義洋監督の『みなさん、さようなら』は、まさにそれを示した現代における最高峰の“団地映画”である。生まれた時から団地で暮らす、濱田岳演じる主人公は、小学校の卒業の日に起きた事件を機に団地から一歩も外へ出なくなってしまう。小学校のクラスメイトは皆同じ団地に住んでいて、遊ぶ場所も買い物する場所も働く場所もある。ところが次第に一人ずつ友人たちは外の世界へ飛び出していき、団地という世界全体がガラリと変わっていくなかで、彼自身も変わることを余儀なくされていく。この一本に、1980年代から現代に至るまでの団地を取り巻く歴史がすべて詰まっていると言っても過言ではないだろう。

 実際のところ取り壊されずに残っている団地の多くは、居住者の高齢化が進み、いわゆる低所得者層が生活する公団住宅というイメージが根付き、かつてのような血気盛んな若者たちではなく外国からの移民労働者たちも多く暮らすようになったことは否定できない。ある意味でこうした変化は、多くの社会的なテーマを携えることとなり映画向き・ドラマ向きな場所になったのかもしれないと前向きに考えることもできる。是枝裕和監督の『海よりもまだ深く』は、まさにそうした現実的な問題を的確に見つめた佳作であった。

 他にも阪本順治監督が手掛けた『団地』のような変わり種のSF喜劇をはじめ、中田秀夫監督の『クロユリ団地』では恐怖体験の舞台としても機能するなど、単純に“暮らし”の部分だけにフォーカスを当てないジャンル性を得ることも可能になってきている。最近のテレビドラマでも、成田凌主演の『逃亡医F』(日本テレビ系)のなかで主人公が迷い込む廃団地に不法移民の若者たちが暮らしていたり、西島秀俊の『真犯人フラグ』(日本テレビ系)ではその閉塞感のある団地のコミュニティがミステリーとして機能していた点なども見逃せない。かつて生活感のかたまりであった“団地”という限定された世界が、外の世界とより交わることによって作劇的な裾野は確実に広がったのである。

 それは日本に限ったことではない。同じように団地というコミュニティを持つ国では、それがすでに映画的に機能している。お隣の韓国ではポン・ジュノ監督の長編デビュー作『ほえる犬は噛まない』で巨大団地の人間模様を描いていたり、フランスではサミュエル・ベンシェトリ監督の『アスファルト』で住民たちの暮らしぶりが綴られ、ジャック・オディアール監督の『ディーパンの闘い』では移民問題にフォーカスを当て、そしてファニー・リアタール&ジェレミー・トルイユ監督の『GAGARINE/ガガーリン』では団地で生きてきた若者たちの団地への強い愛着が描かれる。とりわけこの『GAGARINE/ガガーリン』には、シチュエーションこそ違えども『雨を告げる漂流団地』に共通するノスタルジーが存在するのだ。

 時代の進化と共に変わっていく最中の“団地”というひとつの世界で生まれ育ち、その故郷があっけなく奪われてしまう。かつて目指された団地的な生活環境とは程遠い、すでに満たされた現代で生きる子どもたちをあえて主人公に置くことで、アンバランスなノスタルジーを観客に与え、映画としての普遍性と魅力を生む。こう書きながら、もしかすると『雨を告げる漂流団地』の主人公の子どもたちにとって“団地”とは、住居でも世界でもなく、“海”だったのかもしれないと思えてきた。これは実に興味深い“団地映画”との邂逅だ。

■配信・公開情報
『雨を告げる漂流団地』
Netflixにて全世界独占配信中
全国公開中
出演:田村睦心、瀬戸麻沙美、村瀬歩、山下大輝、小林由美子、水瀬いのり、花澤香菜、島田敏、水樹奈々
監督:石田祐康
脚本:森ハヤシ、石田祐康
音楽:阿部海太郎
主題歌・挿入歌:ずっと真夜中でいいのに。
企画:ツインエンジン
制作:スタジオコロリド
配給:ツインエンジン/ギグリーボックス
製作:コロリド・ツインエンジンパートナーズ
©コロリド・ツインエンジンパートナーズ
公式サイト: https://www.hyoryu-danchi.com/
公式Twitter:https://twitter.com/Hyoryu_Danchi

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