『るろうに剣心』が追求する“実写ならでは”の表現とは? 時代劇の美学と異なるリアリティ

『るろうに剣心』が生んだ実写ならではの表現

 和月伸宏のマンガを、大友啓史監督が実写映画化した『るろうに剣心』は、マンガ・アニメの実写映画化の成功例と言われる。シリーズ全5作全てが大ヒットを記録し、原作ファンにも評判が高い。

 しかし、筆者も含めて皆「実写」という言葉をよく使うのだが、そもそも「実写」とはなんだろうか。アニメーションの定義は厳密に存在するが、実写の定義はあまり議論されてこなかったし、その分「実写ならではの表現」も充分に検討されてこなかったのではないかと筆者は思っている。

 実写化はどうすれば成功するのか、多くの人が考えているだろうが、その前に「実写ならでは」が何かわからないと成功させるのも難しい。

 マンガならではの表現、アニメーションならではの表現があるなら、実写ならではの表現もあるはずだ。マンガ原作を実写に置き換える時、「実写ならでは」を作り手は意識する必要があるはずだし、それが最も浮き彫りになるのは、マンガやアニメを実写化する時なのではないか。

 『るろうに剣心』はきっと、そこを抑えていたに違いない。ここでは、本シリーズが追求した実写ならではの表現とは何かを考えてみたい。

『るろうに剣心』は時代劇なのか

 日本映画には時代劇という伝統的なジャンルがある。このジャンルの意匠を取り入れることができたから『るろうに剣心』はある種の実写映画としての風格を獲得できたのだろうか。

 確かに、ロケ地、セット、衣装や小道具など本格的なものを用いることができるので、世界観を本物に近づけることができている。要するに映像がチャチじゃないわけだ。

 だが、『るろうに剣心』は時代劇だから成功したのだろうか。時代劇を厳密に定義することは難しいのだが、大友啓史監督は度々、本シリーズについて、時代劇という言葉から連想されるものとは異なった作品にしたかったという趣旨の発言をしている。

 伝統的な時代劇には様式がある。特にチャンバラと呼ばれるアクションシーン(殺陣)は顕著だ。『るろうに剣心』は明らかにその様式からはほど遠いアクションを作り上げている。

 時代劇に詳しい映画評論家の春日太一氏は、時代劇の殺陣で重要なのは「静・動・間」だと『時代劇入門』(角川新書)に記している。動の間に静を入れることで緩急をつけて、強く、速く、美しく見せることが大切なのだそうだ。この本はとてもユニークで、時代劇の殺陣の魅力がわかりやすく出ている例として、なんとアニメ作品の『機動戦士ガンダム』を挙げているのだ。(※1)

 同著の富野由悠季監督の対談の中で、春日氏は『るろうに剣心』のアクションシーンは時代劇の殺陣の演出から外れたものとしている。実写映画で刀をもって戦う『るろうに剣心』は時代劇ではなく、SFアニメの『機動戦士ガンダム』が時代劇の魅力を伝えるものとして参照されている。この捻じれはとても面白い。

 なぜ、このような捻じれが発生するのかを解き明かすのは難しいが、春日氏の言う「静・動・間」は、アニメの方が作りやすいかもしれない。チャンバラシーンは、激しく動くだけじゃなく、静と間を作るためにアクションの中でピタリと美しく止まる必要がある。生身の人間は相当に訓練しないと綺麗に止まることはできないが、アニメのキャラを止めるのは簡単だ。ディズニーよりも少ない作画枚数で個性的な運動を追求してきた日本のアニメ産業は、図らずも「静・動・間」のメリハリを追求してきたと言える。

 『るろうに剣心』は対照的に、合戦シーンで止まらずに動き続ける。走りながら剣を叩き下ろすアクションが満載で、スピード重視で展開していくが、実際の殺し合いの場では、「間」はすなわち死を意味するので、動き続けて戦うのだという発想だと思われる。

時代劇とアニメの距離

『るろうに剣心京都大火』

 そもそも、時代劇の源流は、型を重視する歌舞伎にある。日本の映画創成期は、カットを割ることもなく、そのまま舞台を写したものが多かったが、その際、歌舞伎が題材に選ばれることが多かった。

 戦闘シーンのような激しい動きを、歌舞伎では「立ち回り」、略して「タテ」と呼ぶ。これが「殺陣」の語源だ。歌舞伎のタテとはどのようなものか、『殺陣 チャンバラ映画史』(現代教養文庫)の永田哲朗氏はこう説明している。

タテは、見得を極度に生かして、ほとんど連続的に美しい静止態を見せる。よく大見得を切るなどというが、「見得」は演技感情の最高潮に達したとき、一瞬静止の形をとり、からだ全体、とくに眼に力を入れて睨み、その形をより強く観客に印象づける手法をいう。(※2)

 余談だが、このように美しい状態を見せることを様式美としている歌舞伎を「動く絵」と表現する人もいると永田氏は同著で書いている。動く絵といえば、アニメーションだが、このように見得を切る表現は、止め絵の美しさを重視する日本のアニメにも共通する美学と言える。

 時代劇の殺陣は、そのような見得を基本とする歌舞伎の様式からはじまった。その後、歌舞伎の型にとらわれない独自の表現が様々な角度から模索され、独自の美学が形成されていった。

 殺陣の歴史も長く、ここでその全てを説明することは難しいが、主に歌舞伎から生じた見せるための美という側面と、映像であるがゆえのリアルとのせめぎ合いの中で、その美学が磨かれていったと言っていいだろう。

 時代劇に限らず、アクション映画はしばしば、映像のコマの回転数をいじって速度を上げることがある。いわゆる「早回し」というもので、本来1秒24コマのところを、1秒22コマや21コマにすると、その分、実際の動きより速く見せることができる。

 時代劇では様式美が重んじられる。速く動けばそれだけ型がくずれやすいので、少しゆっくり動いてきっちりと型を守ったうえで、フィルムのスピードを速めてリアルに近づける。後は、模造刀とはいえ武器なので、速く動き過ぎて相手に当たってしまい怪我をさせたらまずいという理由もある。

 たとえば、サイレント映画とトーキー映画時代を股にかけて活躍した阪東妻三郎のチャンバラはこんなふうに工夫されていたそうだ。

カメラマン鈴木博氏も、刀をふりかぶった時は遅く、斬りおろすときははやくという風に、独特のカメラ技術を編み出して阪妻の殺陣を効果的にした。(※3)

 これは、アニメの作画の「タメツメ」に近い考え方だ。アニメでも素早く振り下ろすアクションでは、間のコマ数を飛ばして動きの緩急をつけることがある。コマを操作して運動をいじるというのは、アニメーションの定義そのものと言える手法で、時代劇にはアニメと似たような美学を持っているのだ(もちろん、従来の時代劇全てがフィルム回転数をいじっているわけではない)。

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